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え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
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歴史を知ることは簡単だ。
だが、それを正しく詳しく知る事は難しい。

簡単にいえば、「今日は何の日?」と言うのを知るのはそう難しいことでもないし「クリスマス」だって歴史の一事件を記念化したものだとすれば……イエスの誕生したということを知るのは楽だ。
しかし、イエスとは誰か、その土地の背景は、支配者は、なぜ記念日とされたか、人種的言語的背景は、経済的背景は……。
そういったことを知るのは難しい。

ところで、本当に歴史を知れるものだろうか?
残された手掛かり(史料)をありそうな形でまとめているだけなのではないだろうか?
まとめる……しかし、まとめるとは何だ?
網羅的に集めただけではまとめとは言うまい。
なんらかの実体として、輪郭をつけようとしていることではないか?
つまりある形にしようとして組み立てているのではないか?
「目」や「手」や「肝臓」をただ集めるのではなく、それを人間になるように組み立てたり、顔になるようにしたり、手になるようにしたりすることではないか?
それを「人間」にするには足りないパーツがあるかもしれない(史料に無い状態だ)、その場合は想像力を使って「こうであろう」と自前のパーツを組み込んで形にするんだろう。

で、こういったことはなにか?
考えてみれば、それは巧みな嘘かも知れない。
史料をどう読むか、どう構築するか、合間をどう埋めるか。
我々の知らないところで嘘がまかり通っているかも知れない。

そんなことは僕らがいうことじゃない、研究者が考えていないわけは無い。
確かに。
でも、読み手はこういうことを考えたっていい。
これはあるまとめかたをされた読み物だ。
この文字達は真実を求めている最中だ。
100%の真実が書いてあるわけじゃない。
……そういう疑いを挟むと何が起こるか?
著者に対して、読者の責任も発生することが露になるのじゃないだろうか。
読者だってそれを是として信じたのだとしたら、それはその分だけ読者の責任だろう。
著者が全て悪いというわけではない。、

話は戻る。
歴史を知ることは簡単だが、それを詳しく正しく知る事はまったく難しい。
あるいは不可能かも知れない。
言い換えよう。
史料を断片として知る「雑学」は難しくない、それをはっきりとした実体の「学」としてい知るのは難しい。
その難しさは著者と読者の共同の難しさだと考えた方が良いような気がする。



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おひさ。

非実在青少年が問題になっていますねぇ。
というわけでそれに関する雑感。

まず、実在児童を対象にしたポルノは否定します。
被害者が存在するんですから。

で、エロいものによって青少年の健全な育成が阻まれる、或いは歪められるかどうか、という話。
これは児童ポルノとはまた話が違いますね。
児童ポルノの場合「ポルノになった児童」が被害者ですが、この話は「ポルノにふれた青少年」についてです。
どうなんでしょうねえ?
重箱の隅を突つくようですが「健全」とは何でしょう?
「社会的モラルを十全に持っているか」でしょうか。じゃ、「社会的モラル」って何?という話にもなりそうですが。
少なくとも「ある程度人の身になって考えられるか」とか「人の範たる行動をとれてるか」くらいはあてはまりそうです。
つまり「倫理感」の話も入ってくるんでしょうね。

それで、僕の世代ではテレビでトゥナイト2とかギルガメッシュナイトとかあったり、水着だらけの水泳大会とか「ポロリもあるよ」なものは幾らもありました。
アパートのポストにはAVの案内チラシ、単色刷りのB5以下のサイズのいかがわしいことこの上ないチラシが入ってることありました。
それから裏山には湿気でグニャグニャになったエロ本が捨てられてました。
まあ、エロいのは幾らでもあったわけです。
それで僕の性格が歪んでいると言われたら、僕より上の世代はどうかという話をするしかないんですが。

思春期、春機発動期。
つまり性の目覚めですから、この時点の男子は大方エロに興味有りです。
これは否定してもしようがないことかなと思います。

でも、「エロいことは良くないことです」という倫理感が全体的にあったように思います。
旧来の因習なのかどうかはわかりませんが、ともかくそういう倫理感はあった。
とはいえ、エロいものは少なからずあった。
「やっぱりエロが好き」なのでした。
ダブルスタンダードですね。
僕としてはこのダブルスタンダードは良いことだと思います。
基本的に男性は性的なことに魅力を感じるようになっていますし、いい歳をした男性が性に無関心だったら逆に「大丈夫か?」と思われるでしょう。
とはいえ、欲求と快楽で無節操なのも社会的には問題ですし、被害者が数多く生まれてしまうでしょう。

だから公式の見解、社会的には「エロは良くないですよ」という意見に頷きつつ「でもやっぱりエロはいいよね」にも頷きます。
第一、どっちかに偏ってもエロティシズムを損ないますしね。
倫理感がまったくない世界ではエロティックなものの魅力が減ると思いますし。

青少年に対してエロをある程度規制する事自体には賛成です。
というのはエロは「大人のもの」であっていいと思うから。
実のところ、エロはそういう「秘密めいたところ」があったほうがいいよね、という話に過ぎないんですが。
青少年にとってエロに対するファンタジーを作っておきたい。
まあそれでもモラリスティックな言い方をすると。
一つはそれによって極端な行動、犯罪的な行動を起こさないだけの「落ち着きがある人間だけ」が触れるものになるからだろうと思うから。
エロで頭がいっぱいの青少年が変なことしたら困るしね。
というか、感覚的にはエロで頭がいっぱいの男子にバンバンエロを与えていたら「もう辛抱たまらん!」と間違ったことを起こしそうだと……。
だから、「十八歳まで待て」はいいと思う。

さて、話は変わって、非実在青少年の制限規制。
青少年の健全な育成のためにあるんですよね?
とりあえず、あらゆるエロ本は「18禁」なんじゃないんですか?
この点は少し不可解ですね。
どのみち十八歳未満は見れないんですから。

もう一つ。これが厄介なんだけど「雑誌などの影響はあるかどうか?」ですね。
あるような気もするし無いような気もする。
極簡単な所では「ブルースリーの映画を見た後でみんなブルースリーの真似してる」みたいなことですよね。
確かに。
一方で、ほとんど毎日に殺人事件のニュースを聞き、昼時には刑事もののドラマの再放送があって、ゴールデンタイムにも刑事ものなりそういうものはやっている。
確かに犯人側がヒーローではないけど、ではそのドラマの影響はどれほどあるかといえばこれはあまりないような気がする。
もしくは「悪」のほうが主人公のものが流行ったら、それを見た人が影響されるのか?
うーん、どうだろう。
これに関して、実際にデータがありそれに基づいた幾つかの判断があるのでしょうか?
確かに露骨に犯罪を教唆するようなものは問題があるし、罪になるんじゃなかったかな?

ある作品を見たり聞いたりすることによってハッと気付いて思考態度が一変したり、丹下左膳に憧れて無頼な態度をとる人もありましょう。
でも高倉健の任侠ものが大いに流行ったからといって、みんなが任侠になるわけでもない。
このあたりの話で「一人でも児童ポルノをみてそれに憧れたり真似しようとする奴がいるならやめるべきだ」という『解釈』を持ち込むと、逆に全てのことにも待ったが掛かっちゃいますよね。
つまり「一人でも〜〜を見て犯罪を起こす奴がいるなら」という理屈が通るなら、刑事ものもホラーも青春系でも真似して犯罪が起こる可能性があるのなら禁止という理屈も通ってしまう。
普通のポルノに影響を受けたら成人女性に無理な性交を強要するかも知れない。
児童も成人女性も同じ女性の被害者ですから、成人女性はよくて児童が駄目だと言うのは変ですから。
だから、この論はちょっと極端な話なんですよね。

僕はこういう話は倫理感がちゃんとしているかどうか、というものだと思ってる部分があります。
つまり、犯罪ものを見て現実に犯罪を犯さないのは「だが罪は犯してはならない」とか「人生と引き換えにして得があるか?」とか考えてるからだと思います。
つまり倫理基準があって、ある程度影響されたとしても「やはりそれは倫理的には良くない」という風になっているのだと。
この言い方が正しいのかどうかわからないけど『まともな大人なら真似はしない』ということですね。
ごっこ遊びや真似をするのは子供だと思いますし。
『人を傷つけてはいけない』とか基本的なことだと思います。
もし倫理感が低下していると言うなら、子供は自ら倫理を作り出すものではないですから、教育者やこの社会を作ってきた方々に責任の一端を担ってもらうことにはなるんでしょう。

「未成年を登場させない」というルールめいたものは既にある程度あるんじゃないでしょうか?
「未成年のように見えるけど未成年じゃありませんよ」っていうのは割とちょうど良いとこだと思います。

僕の立場としてはこの禁止派と解放派が両方あるのはちょうどいいですけどね。
駆け引きや遣り取りがあって曖昧であったりすることはエロに関しては良いと思います。
ダブルスタンダードの立場ですから。

あと「表現の自由」を声高に叫ぶ人達はもし規制されたらどうするんだろう?
それだけ声高に叫んでいるのなら自由の為に罪を負うつもりで描く覚悟はあるのでしょうか?
そもそも何人も表現の自由を侵害してはならない、その理由はなんですか?
なぜ表現は規制されてはならないんですか?
……というのも、幾らかの人は頭に血が上っているのかヒステリーめいた弾劾をしていて何だか受け売りの批難を繰り返しているようでしたから。
双方とりあえず落ち着いてほしいと思います。

法的な話はなーんにもできませんでした。わかりません。
これは全体をひっくるめた雑感ですから。
さっき国語辞書を見ていたら

「途切れる」
「途切らせる」
はあったが
「途切る」
はなかった。

ちょっと意外な発見。
途切れたり途切らせたりしても途切ったりはできないのか。
うまい言葉ですねぇ、「年の瀬」って。
言わずもがな年末のことなんですが、「瀬」って言葉を使うのがニクいですね。
川のイメージですが、淵ではない浅瀬ですね、渡って行ける境界線。
誰が考えだしたんでしょうね、この言葉。


落語で「柴浜」ってのがありますが、あれなんかは、こう、年の押し詰まった時期ですねぇ、やるのは。
最後に年の瀬の場面で終わりますからね。
年末って独特の空気感があるじゃあないですか。
ちょっと浮かれている。
忙しい。
なのに、どこかぼんやりのんびりしたような空気ですね。
冬の低い陽、透明度のある乾いた寒天、長い影、コントラスト、ふとした憂鬱感、寒さ、身を包む着物の厚み、染みる陽気さ。
あの空気がふとした拍子に、殊に夜に、何とも言えない情緒を持ってきますね。
それこそ夜鳴きそばでも食いたいような。
嫌いではないです。

昨夜から今朝にかけて、地震続きましたね。
怖かったです。
どうも情報では断続的に続く地震らしいです。
まだちょっと注意が必要かも。
と、思ったらずっと地震続いているようだ。
怖い。

最近、C.アシュトン・スミスの「ゾティーク」ものを読みはじめて、これがまたたまらなく面白い。
ゾクゾクする。
……のですが、終末的な世界のホラーなので、寝ながら見ると夢うつつで恐ろしいものを見ます。
今日朝方にあった地震も、現実の地震だと思わなかった。
悪夢の延長と言うか。

高い塔が嵐で揺れていて、僕はただ脅えていることしかできない。
生死はおおきな運命的な「なにか」の手に委ねられている。

という風に想像していたんですが、気が付いたら普通に地震だったわけで。
ところが、真っ暗だったから、それが「現実」だとしても地盤が無いというか、現実だと言い切れる根拠が無かったので、つかみ所の無い恐怖に捕まえられた。
とても怖かった。


そういえば、片山右京さん遭難。助かってよかった。
パーティはどうなったのだろう、心配だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091213-00000007-cnn-int

ドライビングテクニックは……未知数!
「も」とか「ほ」とか「は」とかって頭に来るとなんかふにゃぁ〜ってするよね。
気合いが入らないっつうか。
なんか抜けてく。
温度で言うと、まあ、二十八度くらい。
ぬるい感じ。


例。

米音楽界最大の祭典、第52回グラミー賞で、6月に急死した米歌手マイケル・ジャクソンに功労賞が贈られることになった。主催者が明らかにした。
本日のヤフーニュースから抜粋。

もいもんがくかいもいだいのもいてん、もいもじゅうにかいもらみーもうで、もくがつにもゅうししたもいもしゅもいける・もくそんにもうろうしょうがもくられることにもった。もゅさいしゃがもきらかにした。


なんか抜けない?
抜けてこない?
まあ、こないならしょうがないんだけどさ。
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