え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
復古神道というものがある。
竹内巨麿の天津教や出口王仁三郎、出口ナオの大本教などが有名だが、いわゆる教派神道というのは十三ほどあるらしい。
復古神道とは何か? といえば、極単純に還元してしまうと新興宗教ということができる。
ただし、その主張の根本に「より古く」「より本源的」な神を「見出す」或いは「復活させる」というようなところがあり、それが復古神道と言われる所以である。
我々の知っている神道は、専ら皇系の神道とも言う事が出来る。
天の主宰神をアマテラス神とし、天孫が降臨したことに日本の統治が始まるという伝説、国津神の国譲り、神武東征、天皇を中心とする統治を語る物語が記紀神話のベースにある。
しかし、こういった政治的な神話以前に土地に坐しました地主神がいたのも事実で、記紀はこれを「国津神」と称して習合しようとしたが、実際には神話と整合性を欠いた行事や伝説が残ってしまうものである。
天理教の教祖中山みきに帰神した天理王命などは土地の神、天孫以前の神の雰囲気が残っている。ちなみに天理教が幕末に興った事も興味深いが、それは後ほどに回そう。
さて、神道の時代はどれほどのものだったのかと言えば、早くも奈良朝に聖徳太子と蘇我馬子が大陸から仏教をわたらせて来た事を考えねばならぬ。
神道には天国や地獄、霊魂、などは特別語られない。教義と言ったものがない。
言ってみれば信心と儀式(形式)が神道の全てなのである。実にフォルマリスティックな思想は、ロジックに妥当される運命になっている。
仏教、また大陸伝来の陰陽五行説などは、ロジカルで付け入る隙がない。うたたねの夢を覚まされた形で神道は慌てて御所に隠れることになる。
無論、聖徳太子が大陸とのつながりをもったのは存分に政治的行動である。
一つは強力な力を持った後見人をつくること、もう一つは物部氏中臣氏を退ける事である。
物部氏中臣氏は伝統的に祭祀の一族だったのである。
この政治的な操作によって、神道は仏教や陰陽道のタームで自分達のことを始める事になる。
後に神仏習合が起こると、本地垂迹説、すなわち、神々は仏の仮の姿であるということになわけだが、これは神道が仏教の下におかれた事を意味した。
そして幕末。
仏教伝来と同じような外来のプレッシャーが再び現れた。太平の眠りはまたも覚まされる。
この時期に、本居宣長や平田篤胤などが為した事を見てみよう。
彼等は「日本的なるもの」「源日本」を探求した。
仏教や陰陽道、民間信仰などが絡み付いた神道を、綺麗にすすいで神道自体のアイディンティティーを確立させようとした。
それはまた日本人自体のアイディンティティーの証明でもあった。
日本人はアプリオリに日本人たるか?
外圧と反発の緊張した弁証法で、神道の言語による神道論が起こり、より根源的な神を探し求めることになる。
明治期に国家神道として長年の連れ合いと引き離されて、神社は統一される。
社格を儲けられて、一つの日本の象徴として屹立“させられる”ことになるのである。
現在の神道は紆余曲折を経て、ここまで来たわけである。
合体と分離の繰り返しは原型を壊すに十分であった、また外圧によって自己自身を屹立させる必要に迫れた。
これは個人の事情にも十分帰せられよう。
「体験」とは、新しく来る何物かと合体する事であり、何かを失って分離して行く事である。自己自身の変形が「体験」と呼ばれうる。
また、強烈なピンチを突き付けられると、人は己自身の存在証明をしきりに求める。自己自身を問い、自らを由しとする是認を求めるものである。
それは日本人に関わらず誰でもそうであろう。
さて、復古神道というのは、独自の「伝承」や「来歴」を語る(文化人類学者も似たように日本人の来歴をかたることがある)。
プレッシャーの中で生まれた源日本感は、必然的に日本の是認をとらざるをえない、故に日本が世界最古の国家にならざるを得ない。
何故なら、世界は日本の神々が作ったからである。
これはこのままなら良いのだが、戦争に引き合いに出されると「宗教は単なる自己肯定の方便になる」ことを明かす。
すなわち、世界天皇という発想、八紘一宇という思想である。
我々は時に壁に突き当たり「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という文言を読むことがある。
そして、ルーツへの信頼と興味を沸き立たせる。
不思議と我々はルーツや「源〜」と言ったものに信頼感を持っている。
個人に翻して考えてみるとわかりやすい。
例えば、立ち止まった時に「自分は最初何がしたかったのか?」と問う事がある。いや、多い。
あるいは「本来の自分」といった「源自分」に対する信頼がある。
現代美術が多様と意味の拡散を始めた時に、コスースが画面に文字を書き、河原温が日付を記し、もの派が物体との距離を測定し出す。これも「絵画の原理とはなにか」という回帰的発想である。
またバタイユやレヴィ・ストロースが洞窟画から「原初、絵画とは何だったのか?」という研究を始める。
原初的人間……アダム・カドモンを、我々は何故か人間の本質と結びつけたがる。
「人間とは何か?」と「原初的人間とはどんなものだったのか?」という発想がシノニムになっている。
しかし、それは本当にそうなのだろうか?
我々はエデンを想定している様にすら見える、あるいは神による人間創造を。
因果関係は人間が各々の事象を時間の形式によって結合したものである。だから、過去は遡れば畢竟ゼロか無限に至らざるをえない。
つまり、終極が神か無かにならなければならない。
我々に「過去」があるように、過去には過去の「過去」がある。
一見、端緒にみえるアルタミラやラスコー壁画も、当時の人間にとってはなんらかの過去の集積かもしれない。「かつて、人はこうであった」ということを求めても、それは本質に至る道とは少し色が違う様に思われる。
しかし、例えば復古神道や近代魔術はそれを是認し、始祖を崇める。
これは始発点は完全だったと言う発想である。或いは、過ぎた過去は永久に破れない夢であるという発想である。
実に魔術的発想だ。
私は、ルーツを求めることや本質を問う時に起きる原初に対する信頼に魔術的な発想が誰しもあるのではないかと思う。
竹内巨麿の天津教や出口王仁三郎、出口ナオの大本教などが有名だが、いわゆる教派神道というのは十三ほどあるらしい。
復古神道とは何か? といえば、極単純に還元してしまうと新興宗教ということができる。
ただし、その主張の根本に「より古く」「より本源的」な神を「見出す」或いは「復活させる」というようなところがあり、それが復古神道と言われる所以である。
我々の知っている神道は、専ら皇系の神道とも言う事が出来る。
天の主宰神をアマテラス神とし、天孫が降臨したことに日本の統治が始まるという伝説、国津神の国譲り、神武東征、天皇を中心とする統治を語る物語が記紀神話のベースにある。
しかし、こういった政治的な神話以前に土地に坐しました地主神がいたのも事実で、記紀はこれを「国津神」と称して習合しようとしたが、実際には神話と整合性を欠いた行事や伝説が残ってしまうものである。
天理教の教祖中山みきに帰神した天理王命などは土地の神、天孫以前の神の雰囲気が残っている。ちなみに天理教が幕末に興った事も興味深いが、それは後ほどに回そう。
さて、神道の時代はどれほどのものだったのかと言えば、早くも奈良朝に聖徳太子と蘇我馬子が大陸から仏教をわたらせて来た事を考えねばならぬ。
神道には天国や地獄、霊魂、などは特別語られない。教義と言ったものがない。
言ってみれば信心と儀式(形式)が神道の全てなのである。実にフォルマリスティックな思想は、ロジックに妥当される運命になっている。
仏教、また大陸伝来の陰陽五行説などは、ロジカルで付け入る隙がない。うたたねの夢を覚まされた形で神道は慌てて御所に隠れることになる。
無論、聖徳太子が大陸とのつながりをもったのは存分に政治的行動である。
一つは強力な力を持った後見人をつくること、もう一つは物部氏中臣氏を退ける事である。
物部氏中臣氏は伝統的に祭祀の一族だったのである。
この政治的な操作によって、神道は仏教や陰陽道のタームで自分達のことを始める事になる。
後に神仏習合が起こると、本地垂迹説、すなわち、神々は仏の仮の姿であるということになわけだが、これは神道が仏教の下におかれた事を意味した。
そして幕末。
仏教伝来と同じような外来のプレッシャーが再び現れた。太平の眠りはまたも覚まされる。
この時期に、本居宣長や平田篤胤などが為した事を見てみよう。
彼等は「日本的なるもの」「源日本」を探求した。
仏教や陰陽道、民間信仰などが絡み付いた神道を、綺麗にすすいで神道自体のアイディンティティーを確立させようとした。
それはまた日本人自体のアイディンティティーの証明でもあった。
日本人はアプリオリに日本人たるか?
外圧と反発の緊張した弁証法で、神道の言語による神道論が起こり、より根源的な神を探し求めることになる。
明治期に国家神道として長年の連れ合いと引き離されて、神社は統一される。
社格を儲けられて、一つの日本の象徴として屹立“させられる”ことになるのである。
現在の神道は紆余曲折を経て、ここまで来たわけである。
合体と分離の繰り返しは原型を壊すに十分であった、また外圧によって自己自身を屹立させる必要に迫れた。
これは個人の事情にも十分帰せられよう。
「体験」とは、新しく来る何物かと合体する事であり、何かを失って分離して行く事である。自己自身の変形が「体験」と呼ばれうる。
また、強烈なピンチを突き付けられると、人は己自身の存在証明をしきりに求める。自己自身を問い、自らを由しとする是認を求めるものである。
それは日本人に関わらず誰でもそうであろう。
さて、復古神道というのは、独自の「伝承」や「来歴」を語る(文化人類学者も似たように日本人の来歴をかたることがある)。
プレッシャーの中で生まれた源日本感は、必然的に日本の是認をとらざるをえない、故に日本が世界最古の国家にならざるを得ない。
何故なら、世界は日本の神々が作ったからである。
これはこのままなら良いのだが、戦争に引き合いに出されると「宗教は単なる自己肯定の方便になる」ことを明かす。
すなわち、世界天皇という発想、八紘一宇という思想である。
我々は時に壁に突き当たり「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という文言を読むことがある。
そして、ルーツへの信頼と興味を沸き立たせる。
不思議と我々はルーツや「源〜」と言ったものに信頼感を持っている。
個人に翻して考えてみるとわかりやすい。
例えば、立ち止まった時に「自分は最初何がしたかったのか?」と問う事がある。いや、多い。
あるいは「本来の自分」といった「源自分」に対する信頼がある。
現代美術が多様と意味の拡散を始めた時に、コスースが画面に文字を書き、河原温が日付を記し、もの派が物体との距離を測定し出す。これも「絵画の原理とはなにか」という回帰的発想である。
またバタイユやレヴィ・ストロースが洞窟画から「原初、絵画とは何だったのか?」という研究を始める。
原初的人間……アダム・カドモンを、我々は何故か人間の本質と結びつけたがる。
「人間とは何か?」と「原初的人間とはどんなものだったのか?」という発想がシノニムになっている。
しかし、それは本当にそうなのだろうか?
我々はエデンを想定している様にすら見える、あるいは神による人間創造を。
因果関係は人間が各々の事象を時間の形式によって結合したものである。だから、過去は遡れば畢竟ゼロか無限に至らざるをえない。
つまり、終極が神か無かにならなければならない。
我々に「過去」があるように、過去には過去の「過去」がある。
一見、端緒にみえるアルタミラやラスコー壁画も、当時の人間にとってはなんらかの過去の集積かもしれない。「かつて、人はこうであった」ということを求めても、それは本質に至る道とは少し色が違う様に思われる。
しかし、例えば復古神道や近代魔術はそれを是認し、始祖を崇める。
これは始発点は完全だったと言う発想である。或いは、過ぎた過去は永久に破れない夢であるという発想である。
実に魔術的発想だ。
私は、ルーツを求めることや本質を問う時に起きる原初に対する信頼に魔術的な発想が誰しもあるのではないかと思う。
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聖遺物なるものがキリスト教にはある。
イエス、及び諸聖人の死体や持ち物などのことである。
例えば、イエスが磔刑にあった時の十字架、打ち付けられた釘、ヴェロニカがイエスの顔を拭いた布、その他諸々。
例えば、ドミニクスの頭蓋骨、ザビエルの手、他誰々の舌やら何やら……勿論、服や持ち物や殉教した聖人のその当の処刑道具もある。
平たく言ってしまえば、こういうのを崇物、フェティシズムという。
ある人物が持っていた物が、その人物とほぼ同一の性質を帯びると言うような事である。
アニミズムからキリスト教まで広く用いられている所を見ると、人間の精神にとってかなり普遍性を持っているのかもしれない。
類似したものに、『鬼ごっこ』を考えてみたらわかりやすいかもしれない。
私が鬼であった時。
A君にタッチするとしよう。
そこで実際に起きているのは、私の手がA君に触れているというただそれだけだ。
しかし、概念上では私の『鬼』は、Aに接触する事で移ったことになる。
それはそういう約束事がお互いのうちにあるから……ではないだろう。
これは約束事ではない。
直感的にもそう感じているはずだが、どうだろう?
私は『タッチされる』というのは、何かが移ったのを感じざるをえない。
もっともっと卑近な例を出そう。
小学校の時、校内で「うんこ」をすると「ウンコマン」とか「ウンコ野郎」とか言われた事はありはしまいか?
そして「逃げろ!」と誰かが言い出したが早い、皆逃げていたりする。
実際には『ウンコ』と『ウンコした者』の関係は薄い。
実際上は、ほとんど肛門の周りだけに関係していると言っても良い。
しかし、子供達の精神上では『ウンコ』と言う物質に関わった事で『ウンコした者』は『汚穢』というウンコと同一性質を持つ事になる。
そして、この『汚穢』はタッチする事によって他人に移る事になる。
これがフィティシズムの基本的性格と言って良いと思う。
ところで、「頼朝の頭蓋骨」の話を知っているだろうか?
「え、こちらが頼朝公のしゃれこうべでございやす」
「ほう。しかし、些か小さいのう。鎌倉殿のおハチは大きいと聞いとったがの?」
「さればこそ、これこそは……」
「ふむ?」
「頼朝公三歳のみぎりのしゃれこうべにごぜぇやす」
というとぼけた話だ。
ヴァリエーションはあるらしく、この後に五歳のみぎりのしゃれこうべを見ることもあるそうだ。
まあ、それは良しとして、聖遺物というのもあながちこれと近いものがある。
聖骸布(イエスの死体を包んだ布)は十数枚、磔刑の時に打った釘は三十本近くあるそうだ。
可哀想に、これじゃあナザレに住んでたイエスさんは何十人磔にされたことになるのやら。
ちなみに磔という刑罰は大変に不名誉な刑罰である。
ユダヤ教サドカイ派とパリサイ派は、本来だったら投石刑になるだろうイエスを、憎きに憎きを重ねて強盗やら国家反逆者が処される刑罰をイエスにかしたのであった。
更に。
「イエス」という名前はありふれた名前だったそうだ。
日本で言えば、「なされ村の田吾作」「なされ邑の太郎」といったところだろうか?
……逸れた話を戻す。
とりわけ、イエスに関する聖遺物は「頼朝の髑髏」と同じようなもので、もう端から冗談みたいな感じがするのだが。
じつは、これには理由がある。
聖遺物といえば、この人……コンスタンティヌス帝の母君ヘレナ……が、くせものである。
この人は、キリスト教にはまっていた人だ。
熱烈な信仰心は時に“はまる”という表現の方があっているのではないかと思う時がある。
ヘレナの場合はそうだった。
ふらふらと出かけては、キリストが張り付けられた十字架を見つけたり、釘を見つけたりする。
どうしてそれがキリストのものか?等という場合、科学的理由は二の次だ。
なんと言っても最高権力者の母上であらせられる。
全てはOK、キリスト教にしたって一番偉いところから権威の衣で包まれた聖釘などを示されたら、万歳こそあれ「そういうのは良くないんじゃない?」などと言うはずもない。
かくしてヘレナは数々の“発見”をしたわけだった。
元々、イエスはただ神のみを信じろと説いていた。
偶像はいかんと。
ところが、世俗一般の我々にとっては物があったほうが分かりやすいし祈りやすい。
モーセが石版を叩き割る程怒っても、所詮我々は聖人とは違う。
ついつい“物”と向かい合ってしまうものだ。
もちろん、キリスト教徒が拝んでいるのは“物”そのものではない。
しかし、かつての偶像崇拝者だって物そのものを拝んでいたわけではない。
その背後にある神に祈っていたのだ。
私達には、どのみち崇物的な聖遺物と偶像崇拝の区別はつきにくい様に思う。
イエス、及び諸聖人の死体や持ち物などのことである。
例えば、イエスが磔刑にあった時の十字架、打ち付けられた釘、ヴェロニカがイエスの顔を拭いた布、その他諸々。
例えば、ドミニクスの頭蓋骨、ザビエルの手、他誰々の舌やら何やら……勿論、服や持ち物や殉教した聖人のその当の処刑道具もある。
平たく言ってしまえば、こういうのを崇物、フェティシズムという。
ある人物が持っていた物が、その人物とほぼ同一の性質を帯びると言うような事である。
アニミズムからキリスト教まで広く用いられている所を見ると、人間の精神にとってかなり普遍性を持っているのかもしれない。
類似したものに、『鬼ごっこ』を考えてみたらわかりやすいかもしれない。
私が鬼であった時。
A君にタッチするとしよう。
そこで実際に起きているのは、私の手がA君に触れているというただそれだけだ。
しかし、概念上では私の『鬼』は、Aに接触する事で移ったことになる。
それはそういう約束事がお互いのうちにあるから……ではないだろう。
これは約束事ではない。
直感的にもそう感じているはずだが、どうだろう?
私は『タッチされる』というのは、何かが移ったのを感じざるをえない。
もっともっと卑近な例を出そう。
小学校の時、校内で「うんこ」をすると「ウンコマン」とか「ウンコ野郎」とか言われた事はありはしまいか?
そして「逃げろ!」と誰かが言い出したが早い、皆逃げていたりする。
実際には『ウンコ』と『ウンコした者』の関係は薄い。
実際上は、ほとんど肛門の周りだけに関係していると言っても良い。
しかし、子供達の精神上では『ウンコ』と言う物質に関わった事で『ウンコした者』は『汚穢』というウンコと同一性質を持つ事になる。
そして、この『汚穢』はタッチする事によって他人に移る事になる。
これがフィティシズムの基本的性格と言って良いと思う。
ところで、「頼朝の頭蓋骨」の話を知っているだろうか?
「え、こちらが頼朝公のしゃれこうべでございやす」
「ほう。しかし、些か小さいのう。鎌倉殿のおハチは大きいと聞いとったがの?」
「さればこそ、これこそは……」
「ふむ?」
「頼朝公三歳のみぎりのしゃれこうべにごぜぇやす」
というとぼけた話だ。
ヴァリエーションはあるらしく、この後に五歳のみぎりのしゃれこうべを見ることもあるそうだ。
まあ、それは良しとして、聖遺物というのもあながちこれと近いものがある。
聖骸布(イエスの死体を包んだ布)は十数枚、磔刑の時に打った釘は三十本近くあるそうだ。
可哀想に、これじゃあナザレに住んでたイエスさんは何十人磔にされたことになるのやら。
ちなみに磔という刑罰は大変に不名誉な刑罰である。
ユダヤ教サドカイ派とパリサイ派は、本来だったら投石刑になるだろうイエスを、憎きに憎きを重ねて強盗やら国家反逆者が処される刑罰をイエスにかしたのであった。
更に。
「イエス」という名前はありふれた名前だったそうだ。
日本で言えば、「なされ村の田吾作」「なされ邑の太郎」といったところだろうか?
……逸れた話を戻す。
とりわけ、イエスに関する聖遺物は「頼朝の髑髏」と同じようなもので、もう端から冗談みたいな感じがするのだが。
じつは、これには理由がある。
聖遺物といえば、この人……コンスタンティヌス帝の母君ヘレナ……が、くせものである。
この人は、キリスト教にはまっていた人だ。
熱烈な信仰心は時に“はまる”という表現の方があっているのではないかと思う時がある。
ヘレナの場合はそうだった。
ふらふらと出かけては、キリストが張り付けられた十字架を見つけたり、釘を見つけたりする。
どうしてそれがキリストのものか?等という場合、科学的理由は二の次だ。
なんと言っても最高権力者の母上であらせられる。
全てはOK、キリスト教にしたって一番偉いところから権威の衣で包まれた聖釘などを示されたら、万歳こそあれ「そういうのは良くないんじゃない?」などと言うはずもない。
かくしてヘレナは数々の“発見”をしたわけだった。
元々、イエスはただ神のみを信じろと説いていた。
偶像はいかんと。
ところが、世俗一般の我々にとっては物があったほうが分かりやすいし祈りやすい。
モーセが石版を叩き割る程怒っても、所詮我々は聖人とは違う。
ついつい“物”と向かい合ってしまうものだ。
もちろん、キリスト教徒が拝んでいるのは“物”そのものではない。
しかし、かつての偶像崇拝者だって物そのものを拝んでいたわけではない。
その背後にある神に祈っていたのだ。
私達には、どのみち崇物的な聖遺物と偶像崇拝の区別はつきにくい様に思う。
原因を探す事は、実に困難なことだ。
ある事が現実に起こった時、直接因を見つけだす事は難しくはない。
しかし、“本当の原因”というのがあるとするならば、それを探す為には直接の原因だけでは足りない。
例えば、サッカーを例にとってみよう。
ゴールを決められてしまった、としよう。
誰が悪い?
キーパーか?
だが、抜かれたディフェンダーも悪い。
いや、それ以前にボールを取られた者が悪い。
オフェンスが動いてなかったから悪いのかもしれない。
点を取っておれば、精神的に軽くなってキーパーもやすやすと動けたかもしれない。
その前に監督の采配が悪かった。
いいや、練習自体が悪かった。
ではチームコンセプトが悪いのか?
だとすればチームそのものが……
以下、サッカー自体、スポーツ自体、と延々に続くだろう。
それは“広がり”で見れば互いに関連しあっているだろうし、時間軸で見れば連鎖している。
では原因は永遠に繋がり続く連鎖なのだろうか?
悪に関する原因を求めると、私達にはありがたい事にその鎖を止める事ができる。
いや、存在論でさえ止める事ができる。
それは神や悪魔というものによってである。
神を善や創造の原因にする。
あるいは悪魔を悪や消滅の原因にする。
世界の原因を探ろうとした時に、そこに善悪を関わらせると、世界は神的なものを求めざるをえなくなる。
自然哲学が問題にするのは、倫理よりも世界だった。
ところで、その時代から一足飛びに三世紀に行くと……プラトンもアリストテレスもイエスも死んでいるのだから……世界の原因に善悪を関わらざるをえなくなっていた。
世界に対する自分……私がすっきりと幸福になれない原因はなんだ?
私が悪いのか、世界が悪いのか?
私が悪いのか、神が悪いのか?
しかし、神と世界は分離できないのだった。
神が世界を作り、私も作った。
では世界が悪かろうが、私が悪かろうが、結局の原因は神にあるのか?
そう、原因論に唯一神を持ち出すと、あらゆる原因は終局的に神に起因する事になる。
私が不幸である事も、今朝鼻血を出した事も、美味しい葡萄を食べた事も、幸福である事も、あらゆる原因は神である。
ところが、そうするともはや神と言うものは無化されることになる。
神がどうあれ全ての原因なのだ。
私を含むあらゆるものの起因であり全てに関わっているのであったら、まったくかかわりがないのと大差はない。
神が善悪を全て支配しているのであれば、この不幸な世界に対しての責任も神にある。
責任を分離せねばならなかった。
つまり、悪魔に悪の原因を分担させねばならなかった。
神と悪魔が似ているのは、その所為だ。
ある事が現実に起こった時、直接因を見つけだす事は難しくはない。
しかし、“本当の原因”というのがあるとするならば、それを探す為には直接の原因だけでは足りない。
例えば、サッカーを例にとってみよう。
ゴールを決められてしまった、としよう。
誰が悪い?
キーパーか?
だが、抜かれたディフェンダーも悪い。
いや、それ以前にボールを取られた者が悪い。
オフェンスが動いてなかったから悪いのかもしれない。
点を取っておれば、精神的に軽くなってキーパーもやすやすと動けたかもしれない。
その前に監督の采配が悪かった。
いいや、練習自体が悪かった。
ではチームコンセプトが悪いのか?
だとすればチームそのものが……
以下、サッカー自体、スポーツ自体、と延々に続くだろう。
それは“広がり”で見れば互いに関連しあっているだろうし、時間軸で見れば連鎖している。
では原因は永遠に繋がり続く連鎖なのだろうか?
悪に関する原因を求めると、私達にはありがたい事にその鎖を止める事ができる。
いや、存在論でさえ止める事ができる。
それは神や悪魔というものによってである。
神を善や創造の原因にする。
あるいは悪魔を悪や消滅の原因にする。
世界の原因を探ろうとした時に、そこに善悪を関わらせると、世界は神的なものを求めざるをえなくなる。
自然哲学が問題にするのは、倫理よりも世界だった。
ところで、その時代から一足飛びに三世紀に行くと……プラトンもアリストテレスもイエスも死んでいるのだから……世界の原因に善悪を関わらざるをえなくなっていた。
世界に対する自分……私がすっきりと幸福になれない原因はなんだ?
私が悪いのか、世界が悪いのか?
私が悪いのか、神が悪いのか?
しかし、神と世界は分離できないのだった。
神が世界を作り、私も作った。
では世界が悪かろうが、私が悪かろうが、結局の原因は神にあるのか?
そう、原因論に唯一神を持ち出すと、あらゆる原因は終局的に神に起因する事になる。
私が不幸である事も、今朝鼻血を出した事も、美味しい葡萄を食べた事も、幸福である事も、あらゆる原因は神である。
ところが、そうするともはや神と言うものは無化されることになる。
神がどうあれ全ての原因なのだ。
私を含むあらゆるものの起因であり全てに関わっているのであったら、まったくかかわりがないのと大差はない。
神が善悪を全て支配しているのであれば、この不幸な世界に対しての責任も神にある。
責任を分離せねばならなかった。
つまり、悪魔に悪の原因を分担させねばならなかった。
神と悪魔が似ているのは、その所為だ。
「カッパ」と言う名が良く知られているこの妖怪は、大変全国的な展開を見せている。
例えば、東北の方ではカワパコ、ガワタロ、メドチなどと呼ばれるし、中部地方ではエンコ、近畿ではシリヌキ、カワロ、四国でシバテン、エンコウ、九州でヒョウスボ、ガラッパと言った具合に土地にあわせて名を変え広まっている。
もともとは水神と縁が深かったり、山神と関係があったりと複雑ではあるようだ。
「エンコウ」の名からわかる様に「猿公」でもある。
猿である。
河童は時期によって山に登り別の妖怪になるという話もあるが、この“猿”の字はその事を示唆するのかもしれない。
そういえば、河童と「沙悟浄」を結び付ける人もいるがあれは妙な話だ。
河童は日本の妖怪で、川や湖にいるものだ。
一方で沙悟浄は別に河童とは関係は無い……そもそも西遊記は中国の話なのだから日本の妖怪が出るのも妙なのである。
河童と言えば、頭の皿だ。
本当かどうかはしらぬが、あの頭の皿についてはいささか無気味な話がある。
“水子”と関係するものだ。
あの頭の皿は、間引かれた赤児の頭を叩き割った形だと言うはなしだ。
……かつて生活難に面して生まれた子供は殺された。
食べ物はないし面倒を見るヒマもないのに生まれた子供は、迷惑でしかない。
だから間引いたのだ。
つまり殺した。
頭を叩き割って殺した。
ために、水子の霊は妖怪と化し、頭は扁平な形になっているという話である。
水辺に関係しているのは、赤児を川に流して捨てたからである。
かつて川原は不浄物を捨て去る場所であったから、死体を流す事自体を訝ることはない。
そうするとこれもありえない推測ではないが、不気味である。
河童は面白い性質が幾つかあって、金物がダメだったり、万能の膏薬を持っていたり、両腕が繋がっていたり、相撲を取りたがったり、シリコダマを抜いたりする。
こういう性質を考えると、例えば「河童=カワウソ」説を疑いたくもなる。
これだけ色々な話が伝わっているのに、ほぼ無害なカワウソと結び付けるのはいささか強引に思う。
いったいこやつはなんなのだろう?
例えば、東北の方ではカワパコ、ガワタロ、メドチなどと呼ばれるし、中部地方ではエンコ、近畿ではシリヌキ、カワロ、四国でシバテン、エンコウ、九州でヒョウスボ、ガラッパと言った具合に土地にあわせて名を変え広まっている。
もともとは水神と縁が深かったり、山神と関係があったりと複雑ではあるようだ。
「エンコウ」の名からわかる様に「猿公」でもある。
猿である。
河童は時期によって山に登り別の妖怪になるという話もあるが、この“猿”の字はその事を示唆するのかもしれない。
そういえば、河童と「沙悟浄」を結び付ける人もいるがあれは妙な話だ。
河童は日本の妖怪で、川や湖にいるものだ。
一方で沙悟浄は別に河童とは関係は無い……そもそも西遊記は中国の話なのだから日本の妖怪が出るのも妙なのである。
河童と言えば、頭の皿だ。
本当かどうかはしらぬが、あの頭の皿についてはいささか無気味な話がある。
“水子”と関係するものだ。
あの頭の皿は、間引かれた赤児の頭を叩き割った形だと言うはなしだ。
……かつて生活難に面して生まれた子供は殺された。
食べ物はないし面倒を見るヒマもないのに生まれた子供は、迷惑でしかない。
だから間引いたのだ。
つまり殺した。
頭を叩き割って殺した。
ために、水子の霊は妖怪と化し、頭は扁平な形になっているという話である。
水辺に関係しているのは、赤児を川に流して捨てたからである。
かつて川原は不浄物を捨て去る場所であったから、死体を流す事自体を訝ることはない。
そうするとこれもありえない推測ではないが、不気味である。
河童は面白い性質が幾つかあって、金物がダメだったり、万能の膏薬を持っていたり、両腕が繋がっていたり、相撲を取りたがったり、シリコダマを抜いたりする。
こういう性質を考えると、例えば「河童=カワウソ」説を疑いたくもなる。
これだけ色々な話が伝わっているのに、ほぼ無害なカワウソと結び付けるのはいささか強引に思う。
いったいこやつはなんなのだろう?
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