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原因を探す事は、実に困難なことだ。
ある事が現実に起こった時、直接因を見つけだす事は難しくはない。
しかし、“本当の原因”というのがあるとするならば、それを探す為には直接の原因だけでは足りない。
例えば、サッカーを例にとってみよう。
ゴールを決められてしまった、としよう。
誰が悪い?
キーパーか?
だが、抜かれたディフェンダーも悪い。
いや、それ以前にボールを取られた者が悪い。
オフェンスが動いてなかったから悪いのかもしれない。
点を取っておれば、精神的に軽くなってキーパーもやすやすと動けたかもしれない。
その前に監督の采配が悪かった。
いいや、練習自体が悪かった。
ではチームコンセプトが悪いのか?
だとすればチームそのものが……
以下、サッカー自体、スポーツ自体、と延々に続くだろう。
それは“広がり”で見れば互いに関連しあっているだろうし、時間軸で見れば連鎖している。
では原因は永遠に繋がり続く連鎖なのだろうか?

悪に関する原因を求めると、私達にはありがたい事にその鎖を止める事ができる。
いや、存在論でさえ止める事ができる。
それは悪魔というものによってである。
神を善や創造の原因にする。
あるいは悪魔を悪や消滅の原因にする。

世界の原因を探ろうとした時に、そこに善悪を関わらせると、世界は神的なものを求めざるをえなくなる。
自然哲学が問題にするのは、倫理よりも世界だった。
ところで、その時代から一足飛びに三世紀に行くと……プラトンもアリストテレスもイエスも死んでいるのだから……世界の原因に善悪を関わらざるをえなくなっていた。
世界に対する自分……私がすっきりと幸福になれない原因はなんだ?
私が悪いのか、世界が悪いのか?
私が悪いのか、神が悪いのか?
しかし、神と世界は分離できないのだった。
神が世界を作り、私も作った。
では世界が悪かろうが、私が悪かろうが、結局の原因は神にあるのか?
そう、原因論に唯一神を持ち出すと、あらゆる原因は終局的に神に起因する事になる。
私が不幸である事も、今朝鼻血を出した事も、美味しい葡萄を食べた事も、幸福である事も、あらゆる原因は神である。
ところが、そうするともはや神と言うものは無化されることになる。
神がどうあれ全ての原因なのだ。
私を含むあらゆるものの起因であり全てに関わっているのであったら、まったくかかわりがないのと大差はない。

神が善悪を全て支配しているのであれば、この不幸な世界に対しての責任も神にある。
責任を分離せねばならなかった。
つまり、悪魔に悪の原因を分担させねばならなかった。
神と悪魔が似ているのは、その所為だ。
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