え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
聖遺物なるものがキリスト教にはある。
イエス、及び諸聖人の死体や持ち物などのことである。
例えば、イエスが磔刑にあった時の十字架、打ち付けられた釘、ヴェロニカがイエスの顔を拭いた布、その他諸々。
例えば、ドミニクスの頭蓋骨、ザビエルの手、他誰々の舌やら何やら……勿論、服や持ち物や殉教した聖人のその当の処刑道具もある。
平たく言ってしまえば、こういうのを崇物、フェティシズムという。
ある人物が持っていた物が、その人物とほぼ同一の性質を帯びると言うような事である。
アニミズムからキリスト教まで広く用いられている所を見ると、人間の精神にとってかなり普遍性を持っているのかもしれない。
類似したものに、『鬼ごっこ』を考えてみたらわかりやすいかもしれない。
私が鬼であった時。
A君にタッチするとしよう。
そこで実際に起きているのは、私の手がA君に触れているというただそれだけだ。
しかし、概念上では私の『鬼』は、Aに接触する事で移ったことになる。
それはそういう約束事がお互いのうちにあるから……ではないだろう。
これは約束事ではない。
直感的にもそう感じているはずだが、どうだろう?
私は『タッチされる』というのは、何かが移ったのを感じざるをえない。
もっともっと卑近な例を出そう。
小学校の時、校内で「うんこ」をすると「ウンコマン」とか「ウンコ野郎」とか言われた事はありはしまいか?
そして「逃げろ!」と誰かが言い出したが早い、皆逃げていたりする。
実際には『ウンコ』と『ウンコした者』の関係は薄い。
実際上は、ほとんど肛門の周りだけに関係していると言っても良い。
しかし、子供達の精神上では『ウンコ』と言う物質に関わった事で『ウンコした者』は『汚穢』というウンコと同一性質を持つ事になる。
そして、この『汚穢』はタッチする事によって他人に移る事になる。
これがフィティシズムの基本的性格と言って良いと思う。
ところで、「頼朝の頭蓋骨」の話を知っているだろうか?
「え、こちらが頼朝公のしゃれこうべでございやす」
「ほう。しかし、些か小さいのう。鎌倉殿のおハチは大きいと聞いとったがの?」
「さればこそ、これこそは……」
「ふむ?」
「頼朝公三歳のみぎりのしゃれこうべにごぜぇやす」
というとぼけた話だ。
ヴァリエーションはあるらしく、この後に五歳のみぎりのしゃれこうべを見ることもあるそうだ。
まあ、それは良しとして、聖遺物というのもあながちこれと近いものがある。
聖骸布(イエスの死体を包んだ布)は十数枚、磔刑の時に打った釘は三十本近くあるそうだ。
可哀想に、これじゃあナザレに住んでたイエスさんは何十人磔にされたことになるのやら。
ちなみに磔という刑罰は大変に不名誉な刑罰である。
ユダヤ教サドカイ派とパリサイ派は、本来だったら投石刑になるだろうイエスを、憎きに憎きを重ねて強盗やら国家反逆者が処される刑罰をイエスにかしたのであった。
更に。
「イエス」という名前はありふれた名前だったそうだ。
日本で言えば、「なされ村の田吾作」「なされ邑の太郎」といったところだろうか?
……逸れた話を戻す。
とりわけ、イエスに関する聖遺物は「頼朝の髑髏」と同じようなもので、もう端から冗談みたいな感じがするのだが。
じつは、これには理由がある。
聖遺物といえば、この人……コンスタンティヌス帝の母君ヘレナ……が、くせものである。
この人は、キリスト教にはまっていた人だ。
熱烈な信仰心は時に“はまる”という表現の方があっているのではないかと思う時がある。
ヘレナの場合はそうだった。
ふらふらと出かけては、キリストが張り付けられた十字架を見つけたり、釘を見つけたりする。
どうしてそれがキリストのものか?等という場合、科学的理由は二の次だ。
なんと言っても最高権力者の母上であらせられる。
全てはOK、キリスト教にしたって一番偉いところから権威の衣で包まれた聖釘などを示されたら、万歳こそあれ「そういうのは良くないんじゃない?」などと言うはずもない。
かくしてヘレナは数々の“発見”をしたわけだった。
元々、イエスはただ神のみを信じろと説いていた。
偶像はいかんと。
ところが、世俗一般の我々にとっては物があったほうが分かりやすいし祈りやすい。
モーセが石版を叩き割る程怒っても、所詮我々は聖人とは違う。
ついつい“物”と向かい合ってしまうものだ。
もちろん、キリスト教徒が拝んでいるのは“物”そのものではない。
しかし、かつての偶像崇拝者だって物そのものを拝んでいたわけではない。
その背後にある神に祈っていたのだ。
私達には、どのみち崇物的な聖遺物と偶像崇拝の区別はつきにくい様に思う。
イエス、及び諸聖人の死体や持ち物などのことである。
例えば、イエスが磔刑にあった時の十字架、打ち付けられた釘、ヴェロニカがイエスの顔を拭いた布、その他諸々。
例えば、ドミニクスの頭蓋骨、ザビエルの手、他誰々の舌やら何やら……勿論、服や持ち物や殉教した聖人のその当の処刑道具もある。
平たく言ってしまえば、こういうのを崇物、フェティシズムという。
ある人物が持っていた物が、その人物とほぼ同一の性質を帯びると言うような事である。
アニミズムからキリスト教まで広く用いられている所を見ると、人間の精神にとってかなり普遍性を持っているのかもしれない。
類似したものに、『鬼ごっこ』を考えてみたらわかりやすいかもしれない。
私が鬼であった時。
A君にタッチするとしよう。
そこで実際に起きているのは、私の手がA君に触れているというただそれだけだ。
しかし、概念上では私の『鬼』は、Aに接触する事で移ったことになる。
それはそういう約束事がお互いのうちにあるから……ではないだろう。
これは約束事ではない。
直感的にもそう感じているはずだが、どうだろう?
私は『タッチされる』というのは、何かが移ったのを感じざるをえない。
もっともっと卑近な例を出そう。
小学校の時、校内で「うんこ」をすると「ウンコマン」とか「ウンコ野郎」とか言われた事はありはしまいか?
そして「逃げろ!」と誰かが言い出したが早い、皆逃げていたりする。
実際には『ウンコ』と『ウンコした者』の関係は薄い。
実際上は、ほとんど肛門の周りだけに関係していると言っても良い。
しかし、子供達の精神上では『ウンコ』と言う物質に関わった事で『ウンコした者』は『汚穢』というウンコと同一性質を持つ事になる。
そして、この『汚穢』はタッチする事によって他人に移る事になる。
これがフィティシズムの基本的性格と言って良いと思う。
ところで、「頼朝の頭蓋骨」の話を知っているだろうか?
「え、こちらが頼朝公のしゃれこうべでございやす」
「ほう。しかし、些か小さいのう。鎌倉殿のおハチは大きいと聞いとったがの?」
「さればこそ、これこそは……」
「ふむ?」
「頼朝公三歳のみぎりのしゃれこうべにごぜぇやす」
というとぼけた話だ。
ヴァリエーションはあるらしく、この後に五歳のみぎりのしゃれこうべを見ることもあるそうだ。
まあ、それは良しとして、聖遺物というのもあながちこれと近いものがある。
聖骸布(イエスの死体を包んだ布)は十数枚、磔刑の時に打った釘は三十本近くあるそうだ。
可哀想に、これじゃあナザレに住んでたイエスさんは何十人磔にされたことになるのやら。
ちなみに磔という刑罰は大変に不名誉な刑罰である。
ユダヤ教サドカイ派とパリサイ派は、本来だったら投石刑になるだろうイエスを、憎きに憎きを重ねて強盗やら国家反逆者が処される刑罰をイエスにかしたのであった。
更に。
「イエス」という名前はありふれた名前だったそうだ。
日本で言えば、「なされ村の田吾作」「なされ邑の太郎」といったところだろうか?
……逸れた話を戻す。
とりわけ、イエスに関する聖遺物は「頼朝の髑髏」と同じようなもので、もう端から冗談みたいな感じがするのだが。
じつは、これには理由がある。
聖遺物といえば、この人……コンスタンティヌス帝の母君ヘレナ……が、くせものである。
この人は、キリスト教にはまっていた人だ。
熱烈な信仰心は時に“はまる”という表現の方があっているのではないかと思う時がある。
ヘレナの場合はそうだった。
ふらふらと出かけては、キリストが張り付けられた十字架を見つけたり、釘を見つけたりする。
どうしてそれがキリストのものか?等という場合、科学的理由は二の次だ。
なんと言っても最高権力者の母上であらせられる。
全てはOK、キリスト教にしたって一番偉いところから権威の衣で包まれた聖釘などを示されたら、万歳こそあれ「そういうのは良くないんじゃない?」などと言うはずもない。
かくしてヘレナは数々の“発見”をしたわけだった。
元々、イエスはただ神のみを信じろと説いていた。
偶像はいかんと。
ところが、世俗一般の我々にとっては物があったほうが分かりやすいし祈りやすい。
モーセが石版を叩き割る程怒っても、所詮我々は聖人とは違う。
ついつい“物”と向かい合ってしまうものだ。
もちろん、キリスト教徒が拝んでいるのは“物”そのものではない。
しかし、かつての偶像崇拝者だって物そのものを拝んでいたわけではない。
その背後にある神に祈っていたのだ。
私達には、どのみち崇物的な聖遺物と偶像崇拝の区別はつきにくい様に思う。
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