え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
復古神道というものがある。
竹内巨麿の天津教や出口王仁三郎、出口ナオの大本教などが有名だが、いわゆる教派神道というのは十三ほどあるらしい。
復古神道とは何か? といえば、極単純に還元してしまうと新興宗教ということができる。
ただし、その主張の根本に「より古く」「より本源的」な神を「見出す」或いは「復活させる」というようなところがあり、それが復古神道と言われる所以である。
我々の知っている神道は、専ら皇系の神道とも言う事が出来る。
天の主宰神をアマテラス神とし、天孫が降臨したことに日本の統治が始まるという伝説、国津神の国譲り、神武東征、天皇を中心とする統治を語る物語が記紀神話のベースにある。
しかし、こういった政治的な神話以前に土地に坐しました地主神がいたのも事実で、記紀はこれを「国津神」と称して習合しようとしたが、実際には神話と整合性を欠いた行事や伝説が残ってしまうものである。
天理教の教祖中山みきに帰神した天理王命などは土地の神、天孫以前の神の雰囲気が残っている。ちなみに天理教が幕末に興った事も興味深いが、それは後ほどに回そう。
さて、神道の時代はどれほどのものだったのかと言えば、早くも奈良朝に聖徳太子と蘇我馬子が大陸から仏教をわたらせて来た事を考えねばならぬ。
神道には天国や地獄、霊魂、などは特別語られない。教義と言ったものがない。
言ってみれば信心と儀式(形式)が神道の全てなのである。実にフォルマリスティックな思想は、ロジックに妥当される運命になっている。
仏教、また大陸伝来の陰陽五行説などは、ロジカルで付け入る隙がない。うたたねの夢を覚まされた形で神道は慌てて御所に隠れることになる。
無論、聖徳太子が大陸とのつながりをもったのは存分に政治的行動である。
一つは強力な力を持った後見人をつくること、もう一つは物部氏中臣氏を退ける事である。
物部氏中臣氏は伝統的に祭祀の一族だったのである。
この政治的な操作によって、神道は仏教や陰陽道のタームで自分達のことを始める事になる。
後に神仏習合が起こると、本地垂迹説、すなわち、神々は仏の仮の姿であるということになわけだが、これは神道が仏教の下におかれた事を意味した。
そして幕末。
仏教伝来と同じような外来のプレッシャーが再び現れた。太平の眠りはまたも覚まされる。
この時期に、本居宣長や平田篤胤などが為した事を見てみよう。
彼等は「日本的なるもの」「源日本」を探求した。
仏教や陰陽道、民間信仰などが絡み付いた神道を、綺麗にすすいで神道自体のアイディンティティーを確立させようとした。
それはまた日本人自体のアイディンティティーの証明でもあった。
日本人はアプリオリに日本人たるか?
外圧と反発の緊張した弁証法で、神道の言語による神道論が起こり、より根源的な神を探し求めることになる。
明治期に国家神道として長年の連れ合いと引き離されて、神社は統一される。
社格を儲けられて、一つの日本の象徴として屹立“させられる”ことになるのである。
現在の神道は紆余曲折を経て、ここまで来たわけである。
合体と分離の繰り返しは原型を壊すに十分であった、また外圧によって自己自身を屹立させる必要に迫れた。
これは個人の事情にも十分帰せられよう。
「体験」とは、新しく来る何物かと合体する事であり、何かを失って分離して行く事である。自己自身の変形が「体験」と呼ばれうる。
また、強烈なピンチを突き付けられると、人は己自身の存在証明をしきりに求める。自己自身を問い、自らを由しとする是認を求めるものである。
それは日本人に関わらず誰でもそうであろう。
さて、復古神道というのは、独自の「伝承」や「来歴」を語る(文化人類学者も似たように日本人の来歴をかたることがある)。
プレッシャーの中で生まれた源日本感は、必然的に日本の是認をとらざるをえない、故に日本が世界最古の国家にならざるを得ない。
何故なら、世界は日本の神々が作ったからである。
これはこのままなら良いのだが、戦争に引き合いに出されると「宗教は単なる自己肯定の方便になる」ことを明かす。
すなわち、世界天皇という発想、八紘一宇という思想である。
我々は時に壁に突き当たり「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という文言を読むことがある。
そして、ルーツへの信頼と興味を沸き立たせる。
不思議と我々はルーツや「源〜」と言ったものに信頼感を持っている。
個人に翻して考えてみるとわかりやすい。
例えば、立ち止まった時に「自分は最初何がしたかったのか?」と問う事がある。いや、多い。
あるいは「本来の自分」といった「源自分」に対する信頼がある。
現代美術が多様と意味の拡散を始めた時に、コスースが画面に文字を書き、河原温が日付を記し、もの派が物体との距離を測定し出す。これも「絵画の原理とはなにか」という回帰的発想である。
またバタイユやレヴィ・ストロースが洞窟画から「原初、絵画とは何だったのか?」という研究を始める。
原初的人間……アダム・カドモンを、我々は何故か人間の本質と結びつけたがる。
「人間とは何か?」と「原初的人間とはどんなものだったのか?」という発想がシノニムになっている。
しかし、それは本当にそうなのだろうか?
我々はエデンを想定している様にすら見える、あるいは神による人間創造を。
因果関係は人間が各々の事象を時間の形式によって結合したものである。だから、過去は遡れば畢竟ゼロか無限に至らざるをえない。
つまり、終極が神か無かにならなければならない。
我々に「過去」があるように、過去には過去の「過去」がある。
一見、端緒にみえるアルタミラやラスコー壁画も、当時の人間にとってはなんらかの過去の集積かもしれない。「かつて、人はこうであった」ということを求めても、それは本質に至る道とは少し色が違う様に思われる。
しかし、例えば復古神道や近代魔術はそれを是認し、始祖を崇める。
これは始発点は完全だったと言う発想である。或いは、過ぎた過去は永久に破れない夢であるという発想である。
実に魔術的発想だ。
私は、ルーツを求めることや本質を問う時に起きる原初に対する信頼に魔術的な発想が誰しもあるのではないかと思う。
竹内巨麿の天津教や出口王仁三郎、出口ナオの大本教などが有名だが、いわゆる教派神道というのは十三ほどあるらしい。
復古神道とは何か? といえば、極単純に還元してしまうと新興宗教ということができる。
ただし、その主張の根本に「より古く」「より本源的」な神を「見出す」或いは「復活させる」というようなところがあり、それが復古神道と言われる所以である。
我々の知っている神道は、専ら皇系の神道とも言う事が出来る。
天の主宰神をアマテラス神とし、天孫が降臨したことに日本の統治が始まるという伝説、国津神の国譲り、神武東征、天皇を中心とする統治を語る物語が記紀神話のベースにある。
しかし、こういった政治的な神話以前に土地に坐しました地主神がいたのも事実で、記紀はこれを「国津神」と称して習合しようとしたが、実際には神話と整合性を欠いた行事や伝説が残ってしまうものである。
天理教の教祖中山みきに帰神した天理王命などは土地の神、天孫以前の神の雰囲気が残っている。ちなみに天理教が幕末に興った事も興味深いが、それは後ほどに回そう。
さて、神道の時代はどれほどのものだったのかと言えば、早くも奈良朝に聖徳太子と蘇我馬子が大陸から仏教をわたらせて来た事を考えねばならぬ。
神道には天国や地獄、霊魂、などは特別語られない。教義と言ったものがない。
言ってみれば信心と儀式(形式)が神道の全てなのである。実にフォルマリスティックな思想は、ロジックに妥当される運命になっている。
仏教、また大陸伝来の陰陽五行説などは、ロジカルで付け入る隙がない。うたたねの夢を覚まされた形で神道は慌てて御所に隠れることになる。
無論、聖徳太子が大陸とのつながりをもったのは存分に政治的行動である。
一つは強力な力を持った後見人をつくること、もう一つは物部氏中臣氏を退ける事である。
物部氏中臣氏は伝統的に祭祀の一族だったのである。
この政治的な操作によって、神道は仏教や陰陽道のタームで自分達のことを始める事になる。
後に神仏習合が起こると、本地垂迹説、すなわち、神々は仏の仮の姿であるということになわけだが、これは神道が仏教の下におかれた事を意味した。
そして幕末。
仏教伝来と同じような外来のプレッシャーが再び現れた。太平の眠りはまたも覚まされる。
この時期に、本居宣長や平田篤胤などが為した事を見てみよう。
彼等は「日本的なるもの」「源日本」を探求した。
仏教や陰陽道、民間信仰などが絡み付いた神道を、綺麗にすすいで神道自体のアイディンティティーを確立させようとした。
それはまた日本人自体のアイディンティティーの証明でもあった。
日本人はアプリオリに日本人たるか?
外圧と反発の緊張した弁証法で、神道の言語による神道論が起こり、より根源的な神を探し求めることになる。
明治期に国家神道として長年の連れ合いと引き離されて、神社は統一される。
社格を儲けられて、一つの日本の象徴として屹立“させられる”ことになるのである。
現在の神道は紆余曲折を経て、ここまで来たわけである。
合体と分離の繰り返しは原型を壊すに十分であった、また外圧によって自己自身を屹立させる必要に迫れた。
これは個人の事情にも十分帰せられよう。
「体験」とは、新しく来る何物かと合体する事であり、何かを失って分離して行く事である。自己自身の変形が「体験」と呼ばれうる。
また、強烈なピンチを突き付けられると、人は己自身の存在証明をしきりに求める。自己自身を問い、自らを由しとする是認を求めるものである。
それは日本人に関わらず誰でもそうであろう。
さて、復古神道というのは、独自の「伝承」や「来歴」を語る(文化人類学者も似たように日本人の来歴をかたることがある)。
プレッシャーの中で生まれた源日本感は、必然的に日本の是認をとらざるをえない、故に日本が世界最古の国家にならざるを得ない。
何故なら、世界は日本の神々が作ったからである。
これはこのままなら良いのだが、戦争に引き合いに出されると「宗教は単なる自己肯定の方便になる」ことを明かす。
すなわち、世界天皇という発想、八紘一宇という思想である。
我々は時に壁に突き当たり「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という文言を読むことがある。
そして、ルーツへの信頼と興味を沸き立たせる。
不思議と我々はルーツや「源〜」と言ったものに信頼感を持っている。
個人に翻して考えてみるとわかりやすい。
例えば、立ち止まった時に「自分は最初何がしたかったのか?」と問う事がある。いや、多い。
あるいは「本来の自分」といった「源自分」に対する信頼がある。
現代美術が多様と意味の拡散を始めた時に、コスースが画面に文字を書き、河原温が日付を記し、もの派が物体との距離を測定し出す。これも「絵画の原理とはなにか」という回帰的発想である。
またバタイユやレヴィ・ストロースが洞窟画から「原初、絵画とは何だったのか?」という研究を始める。
原初的人間……アダム・カドモンを、我々は何故か人間の本質と結びつけたがる。
「人間とは何か?」と「原初的人間とはどんなものだったのか?」という発想がシノニムになっている。
しかし、それは本当にそうなのだろうか?
我々はエデンを想定している様にすら見える、あるいは神による人間創造を。
因果関係は人間が各々の事象を時間の形式によって結合したものである。だから、過去は遡れば畢竟ゼロか無限に至らざるをえない。
つまり、終極が神か無かにならなければならない。
我々に「過去」があるように、過去には過去の「過去」がある。
一見、端緒にみえるアルタミラやラスコー壁画も、当時の人間にとってはなんらかの過去の集積かもしれない。「かつて、人はこうであった」ということを求めても、それは本質に至る道とは少し色が違う様に思われる。
しかし、例えば復古神道や近代魔術はそれを是認し、始祖を崇める。
これは始発点は完全だったと言う発想である。或いは、過ぎた過去は永久に破れない夢であるという発想である。
実に魔術的発想だ。
私は、ルーツを求めることや本質を問う時に起きる原初に対する信頼に魔術的な発想が誰しもあるのではないかと思う。
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