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え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
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始めてトラックバックと言うのをしてみたけど、これであってるのかな?
人様の迷惑にならなければ良いんだけど。

で、なんでかっていうと、表現の幅と言うようなことで考えたりしたので。
美術ではある時期から『巧拙』さえも表現に取り入れられたわけですけれども、そういうことに関して急に気付いたので。

絵画の一大転換期と言えば、ルネサンスですよね。
イタリア語で言うと「リナシメント」。
主にイタリアで起こったことなのでフランス語のルネサンスよりも「リナシメント」の方がいいんですが、そういう風に言い出したのがフランス人だったので、とりあえずルネサンスで通します。

1450年代。
イタリアではダヴィンチ、北方ではアルブレヒト・デューラーが生まれます。
絵画史の大立物が生まれていますから、僕としてはこの時期からルネサンスが加速したと考えたいのですが、もう少しばかり遡っておきます。

ジォット、この人が近代絵画の華々しい嚆矢であるとヴァザルリに分析されておりますので、この人の話から起こします。
この人は十三世紀後半から十四世紀前半に活躍した人です、イタリア人のいう所の「クアトロチェント」の人です。
今から七百年くらい前ですから、マルコポーロの時代ですね。あの人はヴェネチアの人です。
それからモンゴル兵を神風でおっぱらったような時代です。
「そんな前から近代が始まんのかよ」って思ったりもするわけですが、絵画史の上では故の無いことではない。
ジォットと言う人の功績は、それまでのゴシック様式と違って『人が地に足をつけている』絵をきちんと描いたことです。
それまでのゴシック様式では人は地面に足をつけていないことがあるのです。
たとえばチマブーエの作品を見てみましょう。
彼はジォットの師匠といわれています。
水平垂直性に対称性、良い絵です。
ですが、天使とマリアのサイズが全然違う。
それに最前列の天使の後ろにいる天使、浮いています。
まあ、これは天使だから仕様が無いとも言えますが、聖人であったり普通の人であったりしてもこのようにして遠近法を出します。
とくにこの「聖母子(マエスタ)」座像ではそうです。実はジォットもこの構図では同じことをしています。
これはどういう問題か、といいますと「ものを見た通りのサイズや位置で再現をしていない」ということです。
深読みすると、画家がそこに立って、画家の視点から景色を切り取る、と言うことがなされていない。
『一点透視図法』や『遠近法』というのは、『作者の視点から見て』ということです。

実はチマブーエも十分近代の踏み台として立派な役を果たした人なのですが(人物描写や洋服のリアリティなどで)、ジォット以後、シモーネ・マルティーニやアンブロージォ・ロレンツェッティという人達がシエナに出てきます。
ちょうど十四世紀の真ん中あたり以後のこと。この人達はシエナ派と呼ばれています。
あの、絵の具で「バーントシェンナ」と「ローシェンナ」ってのがありますが、あれはシエナ地方の土のことです。
この人達はちゃんと足をつけて人を描いているし、表情も非常に豊かです。
ややバランスが崩れていることもありますし、遠近法的な誤差(消失点があっちゃこっちゃになってたり)もありますが、非常に美しい絵が多い。
シモーネ・マルティーニの「受胎告知」は見事なほど美しいです。
同時期にフィレンツェでも似たような発展があるんですが、とりわけ「ジォッティーノ」の作品「ピエタ」は本当に美しいです。

さて、いったんルネサンスの始めを見たわけですが、この時期の作品は一般的に言って未熟です。
技術的に拙い。
どういう点で未熟かと言えば、空間把握がしっかりしていない。
奥行きが描けていない。
立体表現がワンパターン。
構図や表情が画一的。
質感の描き分けが出来ていない。
こういった点です。
で、こういった「未熟さ」にも関わらず、美しいと思える作品はやはり少なくない。
では「未熟さ」とは何かと言えば、「私達が目で見ている現実の構造とかけ離れている」ことに尽きると思います。
絵の具の丁寧さや金箔、構図のしっかりしたところという点やテーマの扱い方などはかなりしっかりとマニュアル化されており、当時は徒弟工房制度でしたので、技術的には熟成されておりました。
ただ、「現実の構造と違う」ことが我々の目に未熟と見えるのだと思います。


ルネサンスには遠近法の確立し、質感表現の幅が広がります。
主題の多様性もおこります。
これは何かと言うとゴシック絵画はキリスト教的主題が主だったのに、ルネサンスでは古代ローマ的主題を扱う画家が多くなった、許されていたと言うことです。
フィレンツェを実質統治していたメディチ家にも原因はあるのですが、それにしたって教皇レオ10世の時に凱旋門に掲げられた
「かつてウェヌス(アレクサンデル6世)が支配し、その後マルス(ユリウス2世)が治め、今やミネルヴァ(レオ10世)の時代が来た」
っていう時代です。
教皇を他の神様に例えて盛り上げるなんて、そりゃルターも怒ります。

ちなみにレオ10世に関しては「グノーシスの薔薇」という小説でめちゃめちゃに描かれていておもしろいです。

そんなわけで自由な雰囲気の中、ラファエッロやデル・サルトと言った極め付けの画家が出て来て、はっきり言ってもうこれ以上無いんじゃないの? ってくらい完成度の高い絵を描きます。
僕個人としては、ミケランジェロよりもデル・サルトの絵の方が素晴らしいと思います(ミケランジェロも「俺は彫刻家だっ!」と憤慨することがあったらしいし)。
ちなみにその彫刻の分野は割と発達が早くて、「ミロのヴィーナス」は紀元前の作品ですし、ドナテッロはルネサンス初期に分類されます。
ドナテッロは石膏デッサンで良くやる「ガッタメラ」よりも「ダビデ」が傑作ですね。
ゴリアテの首を踏む少年に両性具有を見る人もいますし、僕もそれを否定しません。どこか少女的な可憐さのようなものがある。
盛期ルネサンスのミケランジェロではサン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」が抜群の傑作です。

はい、で、そのミケランジェロ。
この人はルネサンスの次の時代「マニエリスム」イタリア語で言う所の「マニエリスモ」の時代と橋渡しをする人です。
このマニエリスムの時代と言うのはバロックとの過渡期的な時代で、ちょっと変わった時代です。

「ミケランジェロまでに絵画は完成した」
だから
「我々は手法(マニエラ)を知ってる」
そういうわけで、ミケランジェロ・チルドレンとでも言うべき人達をマニエリスムの画家と言うわけです。
で、それじゃあ、皆模倣ばっかりやっていて面白くないのかと言うとそうでもない。
完成から抜け出そうとして試行錯誤している様にも見える。
例えば、ミケランジェロは画面の中に動きや運動性を表すことが得意でしたが、マニエリスムの画家は、その運動性を更に強調したり人物に運動感を強くつけたりしました。
その結果、「フィグーラ・セルペンティナータ(蛇状曲線)」と言うものが生まれます。
これは人体を妙にねじらせたり、曲線によるリズムをつくることです。
マニエリスムの画家達はこういうことを非常に精力的にやったので、画面は独特の感じなって行く。
例えば、エル・グレコのこの絵
運動感が強く過度に劇的で人体も長い。

それから、僕はマニエリスム最高の画家と信じて疑わないパルミジャニーノ
首の長い聖母は極めて奇妙な絵だ。
マリアはやたらに長いし、画面左方に狭っくるしく天使達が集まっている。
一方で右側はほとんど何もなく、遠くにいる人物も遠近法的に考えたらサイズがおかしい。もしくは列柱がおかしいのかもしれない。
だが、正面のマリアは美しい曲線を描いて画面を支配し、ほとんど官能的な容姿に見える。
ほかにも「サン・ザッカリアの聖母(聖母子と聖人達)」なんかもサイズ的におかしかったりする。
巧拙でいえば、また『未熟』に戻って行ってしまったかのようではないですか?
「私達が目で見ている現実の構造」から外れているわけです。
ところが、これがまた非常に美しい。


ここで、巧拙に関して、別の見方をしてみます。
子供の絵と比べてみましょう。

例えば、3歳頃の子供の絵は「頭足人」と言う場合があります。
これは頭から足が生えているような状態です。
5歳くらいになると、丸い頭に目鼻、四角い身体、手足、という感じになります。
確かに拙い。
しかし、この拙さは認識に置ける拙さです。
平面状にどのように再現するべきなのか、認識されていない。
ただ「一本の線」が「閉じよう」とすると、そこに錯覚が生じることだけがわかっているのです。

ある程度絵が描けると、そこにある手法が存在していることを知ります。
現実的なサイズ、質感の描き分け、奥行きのつけかた。

ゴシック時代の画家達とマニエリスムの画家達の差異はどうなっているのか。
それはどういう『認識』で描いているのか、ということではないでしょうか。
ゴシックの画家達にはまた現実的な絵画空間という認識が欠けていた。
マニエリスムの画家達はそれを既に知っていて、さらにそこから表現をつくろうと絵画空間を別の形にして行ったわけです。
つまり全然別なわけです。
ということは、認識を既に終えている現代において巧拙は画面上に現れる手法の一つである。ということになるのではないでしょうか。
それは既に「上手」とか「下手」の問題ではなく、本来なら「巧拙」という言い方は適当ではない。
それは「どのように描かれているか」とか「どのような表現がしたいか」という問題なわけです。

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息切れ
もっと長く欠くつもりだったのに息切れした……
くら 2009/04/15(Wed)00:09:34 編集
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