え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
ちょっと間があきました。
あまり個人的な事をだらだらと文章に残すのは、まったく自分の趣味ではないけれど、ちょっと身近にあった事を書く。
最近、自分は訃報を二つ聞いた。
一つは両親の共通の友人のもので、一つは友人の父であった。
前者は少しばかりの面識もあるが最近は全く会っていなかったし、会ったとて昔懐かしむような事も私には何もない。
後者においては一つも知らない。事実、名前すら。
それでも私はショックを……憂鬱な……気落ちさせられた。
なんだか肩や腰が重たくなってくるような、疲れに似たものを感じて、春のどうしようもない空気を嗅ぎながら頬を枕に埋めた。
どうしようもないなぁ、と思う。
いつの間にか自分は冬の服装を解いて、軽い春に向けた服を着ている。
時間は過ぎる。
年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず というわけだ。
いつの間にか自分は歳をとっている。
母は電話を取って凍りついた。
訃報だった。
何年かぶりに母の涙を見たような気がしたが、どうしてなのだろう、近しいものの涙はそれだけで辛い。
殊に親の涙なんて私は全然見たくない。
居場所がなくてオロオロしてしまう。
母は電話をおいて、半ば諦めたみたいに笑って
「もうわたしたちの親じゃなくてわたしたちの番になってきたのねぇ」
と言った。
母も父も人の子だった。
祖母は健在で、私達と一緒に暮らしている。
近頃、めっきりぼけてきて、老いの頑迷に拍車がかかったか人の言う事をきかない。
邪魔だとか嫌いだとかは言えやしないが、それでも鬱陶しく思う事もある。
自分はその思いを持て余す。
孔子は単に父母を養うことが孝行ではないと言った。
犬馬を養う様に衣食住を与えればそれで良いのか?
心のない態度で父母を養う事は孝行ではない。
私は鞭打たれるような気持ちになるのだが……何よりも自分が金を稼ぐわけでもなし、穀潰しもいいところで養うなんぞとは口の端に昇らせるわけにもいかない。
単に頭で考えているだけである。
……いつしかそれも過ぎ去るだろう。
孝行したい時に親は無し、だ。
誰もいつか死ぬだろう。
わかってるんだ。
誰だって死ぬって事はよくよくわかってるはずなんだ。
訃報。
新聞を見ろ、訃報は絶え間なくいつもいつも毎日毎日……テレビをつければ誰が死んだ殺された……小説、ドラマ、あらゆるフィクションでさえ人が死ぬのを知れる。
だけどやっぱり「わかってない」のだ。
ハムレットであるだろう。
死ぬか、眠るか、おそらく夢見るだろう……。
そうだ。
神々は優しい。
死ぬことの恐怖は、真っ暗になってしまうことだ。
永久の別れ、という言葉は使い古されてはいてもデルフォイの神託と同じく間違いはない。
死者には二度と会えない、死者は永久の孤独に落ちる。
しかし、この「孤独に落ちる」という言葉さえまだ救いだ。
本当は死から先には何もない。
完全な不在だ。
神々は、天国を作ったり復活させたりする。
人間には霊魂があって死後も存在する。
このことの何と救いか。
本当は、まったくの不在になってしまう。
墓?
葬式?
そんなものは死者の為にやることじゃない。
生者のためにやっているのだ、死んでもなお存在していると信じて安心したいのだ。
そして安心のうちに死者を追い出して生者の国を存続させるためにやっているのだろう。
神々は優しい存在だ。
私達はそう言うことを信じないと……少なくとも、私はそう言うことを信じることによって幾らでも精神が楽になる。
目に見えぬ存在なるものは、救いだ。
現実のバッサリした死を生のままで触れるには、我々の皮膚は薄くて弱い。
いずれ慣れるか遠ざけるかも知れないが、優しい服が欲しい。
神々が存在するかどうか、なんてのは二の次だ、存在しないと困るんだろうと思う。
あまり個人的な事をだらだらと文章に残すのは、まったく自分の趣味ではないけれど、ちょっと身近にあった事を書く。
最近、自分は訃報を二つ聞いた。
一つは両親の共通の友人のもので、一つは友人の父であった。
前者は少しばかりの面識もあるが最近は全く会っていなかったし、会ったとて昔懐かしむような事も私には何もない。
後者においては一つも知らない。事実、名前すら。
それでも私はショックを……憂鬱な……気落ちさせられた。
なんだか肩や腰が重たくなってくるような、疲れに似たものを感じて、春のどうしようもない空気を嗅ぎながら頬を枕に埋めた。
どうしようもないなぁ、と思う。
いつの間にか自分は冬の服装を解いて、軽い春に向けた服を着ている。
時間は過ぎる。
年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず というわけだ。
いつの間にか自分は歳をとっている。
母は電話を取って凍りついた。
訃報だった。
何年かぶりに母の涙を見たような気がしたが、どうしてなのだろう、近しいものの涙はそれだけで辛い。
殊に親の涙なんて私は全然見たくない。
居場所がなくてオロオロしてしまう。
母は電話をおいて、半ば諦めたみたいに笑って
「もうわたしたちの親じゃなくてわたしたちの番になってきたのねぇ」
と言った。
母も父も人の子だった。
祖母は健在で、私達と一緒に暮らしている。
近頃、めっきりぼけてきて、老いの頑迷に拍車がかかったか人の言う事をきかない。
邪魔だとか嫌いだとかは言えやしないが、それでも鬱陶しく思う事もある。
自分はその思いを持て余す。
孔子は単に父母を養うことが孝行ではないと言った。
犬馬を養う様に衣食住を与えればそれで良いのか?
心のない態度で父母を養う事は孝行ではない。
私は鞭打たれるような気持ちになるのだが……何よりも自分が金を稼ぐわけでもなし、穀潰しもいいところで養うなんぞとは口の端に昇らせるわけにもいかない。
単に頭で考えているだけである。
……いつしかそれも過ぎ去るだろう。
孝行したい時に親は無し、だ。
誰もいつか死ぬだろう。
わかってるんだ。
誰だって死ぬって事はよくよくわかってるはずなんだ。
訃報。
新聞を見ろ、訃報は絶え間なくいつもいつも毎日毎日……テレビをつければ誰が死んだ殺された……小説、ドラマ、あらゆるフィクションでさえ人が死ぬのを知れる。
だけどやっぱり「わかってない」のだ。
ハムレットであるだろう。
死ぬか、眠るか、おそらく夢見るだろう……。
そうだ。
神々は優しい。
死ぬことの恐怖は、真っ暗になってしまうことだ。
永久の別れ、という言葉は使い古されてはいてもデルフォイの神託と同じく間違いはない。
死者には二度と会えない、死者は永久の孤独に落ちる。
しかし、この「孤独に落ちる」という言葉さえまだ救いだ。
本当は死から先には何もない。
完全な不在だ。
神々は、天国を作ったり復活させたりする。
人間には霊魂があって死後も存在する。
このことの何と救いか。
本当は、まったくの不在になってしまう。
墓?
葬式?
そんなものは死者の為にやることじゃない。
生者のためにやっているのだ、死んでもなお存在していると信じて安心したいのだ。
そして安心のうちに死者を追い出して生者の国を存続させるためにやっているのだろう。
神々は優しい存在だ。
私達はそう言うことを信じないと……少なくとも、私はそう言うことを信じることによって幾らでも精神が楽になる。
目に見えぬ存在なるものは、救いだ。
現実のバッサリした死を生のままで触れるには、我々の皮膚は薄くて弱い。
いずれ慣れるか遠ざけるかも知れないが、優しい服が欲しい。
神々が存在するかどうか、なんてのは二の次だ、存在しないと困るんだろうと思う。
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映画、音楽、文学。と至って普通の趣味。 ああ、あと最近は自転車レースも好き
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