え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
漫画にはコマがあり、コマには順序があります。
日本の多くの場合。
21
43
の順序で進みます。
アメリカでは
12
34
と進みます。
日本の場合、ページは右に綴じていますが、アメリカ等では左に綴じています
この違いは何に由来するかと言うと、言語の並べ方の違いです。
日本語は縦書きで右から左へ、英語は横書きで左から右へと進みます。
この事を考えると、漫画は絵画よりも文章に近い構造を有しているように思えます。
しかし、それはページ全体の事でもあります。
つまりコマ割りは文章的構造です。
しかし、コマの一つ一つは(往々にして)四角いフレームの中で秩序をもって描かれる限り、絵画と同じ構造をもっています。
絵画に置いて重力関係は左上から右下へ発生しています。
右下が一番密度が濃く、左上が一番密度が軽いのが、一般的な構造です。
漫画の文章性を前提にすると、当り前の事ですが、漫画の完結は一コマ目から最後のコマまでであって、コマ一つ一つは常に前後と連結していなければなりません。
漫画の全体は、勿論一貫性を欲しています。
例えば、我々はコマ毎に違う画風である事を求めていないようです。
一つの漫画の中では、同じキャラクターや設定は同じ様に書かれていた方が良いわけです。
というのは、漫画には通時性があり、一コマ目から最後のコマまでは一貫した時空間軸が流れているからです。
一貫した文章の内には、色々な表現があってもしかるべきですが、まったく異なる表現形式を詰め込む事は難しいでしょう。
文字記号は、他の文字と異なっている事に……つまり全ての文字は、互いに違っている事を前提としています……コンテクストの中で異なり方が同一でなければ、文字としては上手く機能しにくいのです。
一貫した漫画の中で、コマ毎に表現が大きく異なっていると、差異化を再構成しなくてはならないのです。
例えば、一コマ目を劇画風に描いて、二コマ目を萌えアニメ調に描いて、三コマ目をアメコミ風に、四コマ目を印象派的に、とやっていたら、最初のコマで成立した構成を、次のコマではその表現らしい構成に再構成し、また次のコマでは、とやらなくてはなりません。
これは見難いです。
コマ内での記号の差異化は容易に行えるでしょうが、一貫した連鎖として各コマが連絡しづらくなるからです。
漫画は映画に似ています。
しかし、映画には固定化されたフレーミング(往々にして横長の四角い画面)が決められています。
漫画のフレーミングはかなり自由です。
線で囲み込めば、その中を空間として把握できるのですから、どのような仕方でもある程度は可能です。
縦長でもだ円でも小さくても大きくても。
一枚の紙に“区切り”を付ける、時空間として囲い込む、この『線』と言う機能は秀逸です。
過去に絵巻物や壁画などがありましたが、あれは異時同図法を用いていました。
同じ空間上に異なった時間のものを載せるアレです。
今我々は、同じ空間で異なった時間を表そうとしたら、容易に『線』を引いて分ける事が出来ます。
ただの地面に一本のラインを引くだけでそこには空間が実際に区切られます。
現実的には地面は、線のこちら側も、線の上も、線のあちら側も同じです。
これは形而上の問題でしょうか?
この記号は眼に見えて作用しています。
ともあれ、線の及ぼす作用は空間を分断し、人間の意識を線のこちらとあちらとに分けるのです。
しかし、その線の中にも線の外にも……言い換えれば、コマの内にもページ全体にも作用しているものがあります。
重力です。
視覚は重力の影響を受けます。
横書き圏の漫画にせよ、縦書き圏の漫画にせよ、重力に従って上から下へ進むのが一般的です。
勿論、コマ内のカメラワークは自由ですが、常態では頭を上にして足を下にしています。
どの漫画も上から下へコマは進みます。
絵画においても、全画面的な作業をしていても、常に視線は重力に従って動いています。
上方への指示がなければ、視線は上から下へは動きません。
いや、上昇したとしても、それが重力に対する反重力と言うことを知っているはずです。
例えば、「キリストの変容」が描かれる時、キリストは浮いており、特にバロックでは上昇的でありますが、重力に対しての上昇性で画面中のどこにも重力源が存在していないと言う事はありえません。
少なくとも、作品が提示される上でそれが物質として存在し、視線が重力の影響を被っている限りは、常に重力に付きまとわれています。
文章性を前提としてる漫画のコマ割りでは、ほとんどの下から上へコマが進む事はありえません。
そういうコマ割りがあれば、読者は戸惑うでしょう。
しかし、既存の重力源から“出来るだけ”解放してる仕方も絵画や漫画のコマ割りにはあります。
絵画の場合は全画面的な仕方で重力に対して相殺する描き方をする事もあります、一種のイリュージョンです。
もう一つのイリュージョンは、新たな重力源の獲得です。
つまり『中心』と『放射』です。
画面の中心に向けて収斂していく力は、重力のようなイリュージョンを起こします。
或いは遠心力的に放散していく場合にも重力を起こします。
また、絵画は、重力に対して画面を平行にすることで重力を無化する事がある程度可能です。
つまり絵を水平に寝かせるか天上に据えるのです。
日本の多くの場合。
21
43
の順序で進みます。
アメリカでは
12
34
と進みます。
日本の場合、ページは右に綴じていますが、アメリカ等では左に綴じています
この違いは何に由来するかと言うと、言語の並べ方の違いです。
日本語は縦書きで右から左へ、英語は横書きで左から右へと進みます。
この事を考えると、漫画は絵画よりも文章に近い構造を有しているように思えます。
しかし、それはページ全体の事でもあります。
つまりコマ割りは文章的構造です。
しかし、コマの一つ一つは(往々にして)四角いフレームの中で秩序をもって描かれる限り、絵画と同じ構造をもっています。
絵画に置いて重力関係は左上から右下へ発生しています。
右下が一番密度が濃く、左上が一番密度が軽いのが、一般的な構造です。
漫画の文章性を前提にすると、当り前の事ですが、漫画の完結は一コマ目から最後のコマまでであって、コマ一つ一つは常に前後と連結していなければなりません。
漫画の全体は、勿論一貫性を欲しています。
例えば、我々はコマ毎に違う画風である事を求めていないようです。
一つの漫画の中では、同じキャラクターや設定は同じ様に書かれていた方が良いわけです。
というのは、漫画には通時性があり、一コマ目から最後のコマまでは一貫した時空間軸が流れているからです。
一貫した文章の内には、色々な表現があってもしかるべきですが、まったく異なる表現形式を詰め込む事は難しいでしょう。
文字記号は、他の文字と異なっている事に……つまり全ての文字は、互いに違っている事を前提としています……コンテクストの中で異なり方が同一でなければ、文字としては上手く機能しにくいのです。
一貫した漫画の中で、コマ毎に表現が大きく異なっていると、差異化を再構成しなくてはならないのです。
例えば、一コマ目を劇画風に描いて、二コマ目を萌えアニメ調に描いて、三コマ目をアメコミ風に、四コマ目を印象派的に、とやっていたら、最初のコマで成立した構成を、次のコマではその表現らしい構成に再構成し、また次のコマでは、とやらなくてはなりません。
これは見難いです。
コマ内での記号の差異化は容易に行えるでしょうが、一貫した連鎖として各コマが連絡しづらくなるからです。
漫画は映画に似ています。
しかし、映画には固定化されたフレーミング(往々にして横長の四角い画面)が決められています。
漫画のフレーミングはかなり自由です。
線で囲み込めば、その中を空間として把握できるのですから、どのような仕方でもある程度は可能です。
縦長でもだ円でも小さくても大きくても。
一枚の紙に“区切り”を付ける、時空間として囲い込む、この『線』と言う機能は秀逸です。
過去に絵巻物や壁画などがありましたが、あれは異時同図法を用いていました。
同じ空間上に異なった時間のものを載せるアレです。
今我々は、同じ空間で異なった時間を表そうとしたら、容易に『線』を引いて分ける事が出来ます。
ただの地面に一本のラインを引くだけでそこには空間が実際に区切られます。
現実的には地面は、線のこちら側も、線の上も、線のあちら側も同じです。
これは形而上の問題でしょうか?
この記号は眼に見えて作用しています。
ともあれ、線の及ぼす作用は空間を分断し、人間の意識を線のこちらとあちらとに分けるのです。
しかし、その線の中にも線の外にも……言い換えれば、コマの内にもページ全体にも作用しているものがあります。
重力です。
視覚は重力の影響を受けます。
横書き圏の漫画にせよ、縦書き圏の漫画にせよ、重力に従って上から下へ進むのが一般的です。
勿論、コマ内のカメラワークは自由ですが、常態では頭を上にして足を下にしています。
どの漫画も上から下へコマは進みます。
絵画においても、全画面的な作業をしていても、常に視線は重力に従って動いています。
上方への指示がなければ、視線は上から下へは動きません。
いや、上昇したとしても、それが重力に対する反重力と言うことを知っているはずです。
例えば、「キリストの変容」が描かれる時、キリストは浮いており、特にバロックでは上昇的でありますが、重力に対しての上昇性で画面中のどこにも重力源が存在していないと言う事はありえません。
少なくとも、作品が提示される上でそれが物質として存在し、視線が重力の影響を被っている限りは、常に重力に付きまとわれています。
文章性を前提としてる漫画のコマ割りでは、ほとんどの下から上へコマが進む事はありえません。
そういうコマ割りがあれば、読者は戸惑うでしょう。
しかし、既存の重力源から“出来るだけ”解放してる仕方も絵画や漫画のコマ割りにはあります。
絵画の場合は全画面的な仕方で重力に対して相殺する描き方をする事もあります、一種のイリュージョンです。
もう一つのイリュージョンは、新たな重力源の獲得です。
つまり『中心』と『放射』です。
画面の中心に向けて収斂していく力は、重力のようなイリュージョンを起こします。
或いは遠心力的に放散していく場合にも重力を起こします。
また、絵画は、重力に対して画面を平行にすることで重力を無化する事がある程度可能です。
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