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社会の一員としての基準は、その社会の枠組みに入っているか否かだろうと思う。
ところで社会と言う漠然とした言葉を、実際化してみると国家がまずある。
自分が国家の一員であると言う為にはまず国籍が必要だ。
国籍さえ認められれば、法的には国家の一員と言えるだろう。
では法以外のところではどうだろう。
その集団と同一の言語と常識が必要なのは、当り前だ。
“常識”がその集団と同一というのは、社会的な規範が同じである事、行動基準や宗教感が同じである事、伝統的知識を共有できる事などによって、何かの判断を迫られた場合に、その集団にとって社会的または精神的にダメージを与えない場合の事だ。
国籍があり、言語が同じで、常識も同じだった場合、それはその社会集団の一員となっていると言える。
しかし、社会と言う機能は生活の為にある。
生活。
安定した生産とその維持を、またその効率化を計るというのは、社会の機能の最たるものだろう。
法整備は社会と言う有効なシステムの為に必要だった。
職業の分担、分業は社会の機能から生まれたのだろう。
狩りにせよ農業にせよ商業にせよ、或いは単なる労働力にせよ、それはそれぞれ職人とも言える。

ところで、一般的な言葉で言う「職人」は専ら物作りをする人間の事だ。
指物師や金物師、建築家、土師、陶芸家……そして画家や彫刻家。
職人が売っているものは技術である。
そしてその技術は社会の需要に基づいて売っている。
必要に応じて分業化され、それを専門に制作する者達が職人だった。
かつて過去に芸術家と見なされた人達は、確かにいた。
だが、それはなんだったのか?
……それは職業だったのか?
いや、むしろ称号だった。
本来的に依頼に対して制作を行なう者=職人しかそこに存在しなかった。
その職人のうち、傑出して感動的な作品を作る者が芸術家と呼ばれた。
リュシッポスは芸術家だったが彫刻家だった、言い換えれば彫刻職人がその作品の出来によって芸術家と呼ばれたわけだった。
彼等は基本的には技術によって感動を売るのだった。
一方で、詩人はエンターティナー、娯楽を売る人々でもあった。
今日的な仕方で理解するのだったら、彼等の方が芸術家という言葉が当てはまりやすかった。
というのは、彼等が売る技術は“感情を模倣する事”に因っていたからだった。
彼等はより直接的に感動を云々しなければならなかった。
客の需要が「如何に感情を刺激してくれるか」だったから。
彫刻の技術は修練によって現実の対象に迫る事ができるが、詩人の技術は確かに漠然として捕らえ所がない。
彼等の中に芸術家はいたが、前提として詩人である事は否めかった。

こうつらつら考えると芸術家と言う職業は本当にあるのだろうか?
我々は今更ARTという英語を思い巡らせる。
それは<技術>と<芸術>が同じ意味であるとか、芸術家は職人であるとかいう以前に第一義として技術であり職人であることを意味している。
優れた技術、優れた職人が、THE ARTなのであった。
少なくともかつての世界には「芸術家」という職業はなかった。
今はあるのだろうか?
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