え、まあ、趣味とか雑事とかだぜ?
いつも疑問を投げかけるところから始めたいと思っている。
だから、疑問を考えよう。
芸術家は誰に対して何を売っているのだろうか?
客の需要は何なのだろうか?また、芸術家にとって客はいるのだろうか?
二つの質問は、相互に関係していると思われる。
『客』ということに関して。
社会の中で……それが資本主義であれ共産主義であれ、恐らく共和制だろうと絶対王政だろうと封建的だろうと世界市民的だろうと……社会的人間に求められているのは、その社会の中におさまる事だ。
常識や言語についてはわかったが、じゃあ仕事についてはどうだろう。
社会と言う機能が生産の効率化を考えられているのならば、非生産的な社会人は非社会的と言う事になる。
どうだろう、確かにそう言うような気がする。
生産というものは、常に消費と言う事を考えなければならない。
供給に対しては需要がなければならない。
さて、そうすると芸術家が職業なのだとすれば、そこに需要や消費がなければならない。
需要はある。
これはウソではない。
芸術作品を見たいと思う人間は確かにいる。
ここで、しかし、リズールとレクトゥールと言う言葉を引っぱってきたい気がする。
レクトゥールと言うのは「普通読者」と訳され「小説と言えば何でも手当りしだいに読み、『趣味』という言葉の中に包含される内的、外的な如何なる要素によっても導かれてもいない人」。
リズールは「その人の為に作品世界が存在するその人」「(その作品が)本質的な目的として存在する」ような者。
これはチボーデが小説の読者を分類して言った言葉だ。
だが、どのような仕方の芸術にせよ実人生において本質的に目的であるような、つまりリズールな“客”はいる。
少ないだけだ、いや、四十何億の人間の中の0.1%に満たないだけかもしれない。
客は何か“芸術”というものを求める事があるのは確かだ。
ここでもう一つ、客ではなく芸術家について考えなければならない。
ワーズワスを始め、現代でも時折いるのだが、「感情の湧出」を……溢れ出るような感情を作品として固定する事を芸術的営為と思っている事がある。
これは本当にそうなのだろうか?
詩にしても絵画や立体にしても、音楽にしても、この発想は根強い。
「霊感」や「ダイモーン」という言葉に置き換えて使われる事もある。
ドラッグによるトリップ体験とも結びついて表われる言葉でもある。
本当に?
私はこれを全部退けはしない。
感情の横溢は確かに人に何かを伝える事はできる。
ただ、動物の威嚇や求愛行動と似ている。
動物は感情に合わせて歯を向いたり吼えたり、身体を大きく見せたりする。
尻を赤くしたり頬袋膨らませたりする。
だが、それを芸術と言う言葉と同義として良いのだろうか?
動物の表現行動は、何かを伝えている。
自分がどういう精神状態であるかを精一杯伝えているし、大体伝わっている。
芸術は何かを伝えなければならないが、感情はモティーフの一つであり、感情そのものが伝わればどういう仕方であっても良いと言うものではない。
少なくとも「感情が伝わった」という体験と「芸術を感じた」という体験は、同時に起こる事があっても別の体験である。
芸術は常にある種の『感動(何度と無く言うが、涙を誘うような感動ではなく、曰く言い難い精神的な動揺のこと)』とともにある。
だがしかし、芸術家は往々にして個人的な感情や感動を表現したい欲求にかられる。
更には個人的な……オリジナリティや即自存在といった“本質的で自分と言う存在そのものにまつわる自分自身”というようなものを表現に取り込む。
例えば、自己表現という言葉は簡単に見つけられるし、良く問題にされる。
芸術家は「私は何を表現したいのか?」という問題に頭を悩ませてしまう。
ここまで言えば、私が芸術家と客に対して持っている疑問に気付かれたと思う。
「客が何を求めているか」に対して「私は何を表現したいのか」という問題があるわけだ。
面白い事に「客に迎合するか否か」というような疑問は今日に始まったものではない。
そもそもこの質問は、私達が今見てきた文脈の中では浮き立つはずだ。
つまり「客=需要 作家=供給」という関係が成り立って始めて商売が成り立つ以上、客に対して迎合しない者は、それは商売と言う土俵の上に上がっていない事になる。
初めから商売を前提としていないのに「大衆」や「客」と言った概念を漠然と考えながら、同時に自己表現と言う価値観をも前提とするのは、ちょっと無理なのだろう。
「私は何を表現したいか?」は商売の公式には当てはまらない。
「客が何を求めているか?」は商売としてまず(成功するかは別として)成り立つ。
成り立たないにも関わらず「私は何を表現したいか?」で商売をしようというのは、一体なんなのだろう?
芸術家は自己のしたい表現をすることによって金銭を稼ぎたいのだ。
が、それは商売の基本的システムからは外れているはずだ。
でも芸術作品とやらで日々の生活の為に金銭を稼いでいる人間はいるではないか?
だから、疑問を考えよう。
芸術家は誰に対して何を売っているのだろうか?
客の需要は何なのだろうか?また、芸術家にとって客はいるのだろうか?
二つの質問は、相互に関係していると思われる。
『客』ということに関して。
社会の中で……それが資本主義であれ共産主義であれ、恐らく共和制だろうと絶対王政だろうと封建的だろうと世界市民的だろうと……社会的人間に求められているのは、その社会の中におさまる事だ。
常識や言語についてはわかったが、じゃあ仕事についてはどうだろう。
社会と言う機能が生産の効率化を考えられているのならば、非生産的な社会人は非社会的と言う事になる。
どうだろう、確かにそう言うような気がする。
生産というものは、常に消費と言う事を考えなければならない。
供給に対しては需要がなければならない。
さて、そうすると芸術家が職業なのだとすれば、そこに需要や消費がなければならない。
需要はある。
これはウソではない。
芸術作品を見たいと思う人間は確かにいる。
ここで、しかし、リズールとレクトゥールと言う言葉を引っぱってきたい気がする。
レクトゥールと言うのは「普通読者」と訳され「小説と言えば何でも手当りしだいに読み、『趣味』という言葉の中に包含される内的、外的な如何なる要素によっても導かれてもいない人」。
リズールは「その人の為に作品世界が存在するその人」「(その作品が)本質的な目的として存在する」ような者。
これはチボーデが小説の読者を分類して言った言葉だ。
だが、どのような仕方の芸術にせよ実人生において本質的に目的であるような、つまりリズールな“客”はいる。
少ないだけだ、いや、四十何億の人間の中の0.1%に満たないだけかもしれない。
客は何か“芸術”というものを求める事があるのは確かだ。
ここでもう一つ、客ではなく芸術家について考えなければならない。
ワーズワスを始め、現代でも時折いるのだが、「感情の湧出」を……溢れ出るような感情を作品として固定する事を芸術的営為と思っている事がある。
これは本当にそうなのだろうか?
詩にしても絵画や立体にしても、音楽にしても、この発想は根強い。
「霊感」や「ダイモーン」という言葉に置き換えて使われる事もある。
ドラッグによるトリップ体験とも結びついて表われる言葉でもある。
本当に?
私はこれを全部退けはしない。
感情の横溢は確かに人に何かを伝える事はできる。
ただ、動物の威嚇や求愛行動と似ている。
動物は感情に合わせて歯を向いたり吼えたり、身体を大きく見せたりする。
尻を赤くしたり頬袋膨らませたりする。
だが、それを芸術と言う言葉と同義として良いのだろうか?
動物の表現行動は、何かを伝えている。
自分がどういう精神状態であるかを精一杯伝えているし、大体伝わっている。
芸術は何かを伝えなければならないが、感情はモティーフの一つであり、感情そのものが伝わればどういう仕方であっても良いと言うものではない。
少なくとも「感情が伝わった」という体験と「芸術を感じた」という体験は、同時に起こる事があっても別の体験である。
芸術は常にある種の『感動(何度と無く言うが、涙を誘うような感動ではなく、曰く言い難い精神的な動揺のこと)』とともにある。
だがしかし、芸術家は往々にして個人的な感情や感動を表現したい欲求にかられる。
更には個人的な……オリジナリティや即自存在といった“本質的で自分と言う存在そのものにまつわる自分自身”というようなものを表現に取り込む。
例えば、自己表現という言葉は簡単に見つけられるし、良く問題にされる。
芸術家は「私は何を表現したいのか?」という問題に頭を悩ませてしまう。
ここまで言えば、私が芸術家と客に対して持っている疑問に気付かれたと思う。
「客が何を求めているか」に対して「私は何を表現したいのか」という問題があるわけだ。
面白い事に「客に迎合するか否か」というような疑問は今日に始まったものではない。
そもそもこの質問は、私達が今見てきた文脈の中では浮き立つはずだ。
つまり「客=需要 作家=供給」という関係が成り立って始めて商売が成り立つ以上、客に対して迎合しない者は、それは商売と言う土俵の上に上がっていない事になる。
初めから商売を前提としていないのに「大衆」や「客」と言った概念を漠然と考えながら、同時に自己表現と言う価値観をも前提とするのは、ちょっと無理なのだろう。
「私は何を表現したいか?」は商売の公式には当てはまらない。
「客が何を求めているか?」は商売としてまず(成功するかは別として)成り立つ。
成り立たないにも関わらず「私は何を表現したいか?」で商売をしようというのは、一体なんなのだろう?
芸術家は自己のしたい表現をすることによって金銭を稼ぎたいのだ。
が、それは商売の基本的システムからは外れているはずだ。
でも芸術作品とやらで日々の生活の為に金銭を稼いでいる人間はいるではないか?
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